映画、「碁盤斬り」
万屋の主人に招かれて碁を囲む浪人の柳田格之進、そこへ店の番頭が50両の集金を終えて帰ってくる。碁盤対局を終えて格之進が帰った後に事件が起こる。番頭が集金してきた50両が紛失してしまったのだ。
格之進が犯人だと疑う番頭は主人が止めるのも聞かずに無断で格之進の長屋を訪れる。長屋に着くと番頭は はなから犯人は格之進だと決め付けている。
番頭は、「しらを切るなら奉行所に訴える」と強気で迫る。
格之進は、「盗人と疑われて心外だが、その場に居合わせたことを不運と思い、明日までに50両用意しよう」、と約束した格之進だが浪人暮らしでそんな大金用意するあてもない格之進は、「かくなる上は身の潔白を証明するために切腹いたそう」と云う。
それを見た格之進の娘の絹は自分が吉原に身を売ることで50両を都合し、なんとか切腹を思いとどまらせる。翌日、約束どおり50両を番頭に渡す格之進。
番頭は、「万が一 後になってお金が出てきたら私と主人の首を差し上げますよ」、お金を受け取ると番頭はそう言い残して万屋へ帰って行った。
時が過ぎて十二月十三日、店の煤払いをしていると箪笥の裏から問題になった50両の包みが見つかった。
犯人は格之進ではなかったのだ。当日のことをすべて思い出した番頭は格之進に事情を話し、許しを乞うたのだったが、格之進は、「約束したことがあったな。明日挨拶に伺おう。今日は湯に入って首をよく洗っておくがよい」と・・・
翌日二人の首を取ろうと格之進は万屋へ乗り込んだが、主人は「柳田様の所へお金を取りに行かせたのは私ですから私をお斬りください。番頭は許してやって下さい」、番頭は、「私が主人が止めるのも聞かずに勝手にやったことです。私をお斬り下さい」と、主人と番頭がお互いを庇い合う。
二人の行動に心を打たれた格之進は大上段に構えた刀を一閃、置いてあった碁盤を真っ二つにして二人の首の代わりとした。
柳田の娘の絹が吉原に身を売って50両を都合したことを主人が知ると。すぐに吉原へ使いをやって絹を迎えに行かせる。
格之進は、「おまえをこのような目に遭わせた上に、二人を斬ることができなかった」と詫びる格之進に絹は、「父上のお役に立てたのならよろしゅうございます」と許す絹。
この後、番頭と絹は夫婦になり、ますます格之進と主人の間は近しくなり万事丸く収まった。
午後となり「映画」を観に行きました。
日本への伝来・・ 囲碁が日本に渡ってきた時期ははっきりしていませんが、奈良時代(710-794)に吉備真備が遣唐使として唐から持ち帰ったという説があります。しかし、既に636年の隋書・倭国伝には日本人が囲碁を好むことが記されており、日本への伝来はそれ以前からと考えられています。大宝律令(701年)には「碁」に関する記述があり、5世紀ころに朝鮮から渡ってきたとする説も有力です。
日本での歴史・・鎌倉時代(1192-1333)から室町時代(1338-1573)にかけて、囲碁は公家文化から武家文化へ、そして農商業の人々の間にも広まりました。1199年には玄尊が「囲碁式」と呼ばれる日本最古の棋書を定め、囲碁の戦術や礼儀作法、取り決めなどが記されています。