カサカサの感想ハダで備忘を保てるか

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かしこまった文体風のソースを添えて。

カラヤン

2008-01-11 14:48:14 | 音楽の話
定例の勉強会。

室内のBGMにはベートーヴェン交響曲全集。
カラヤン/ベルリン・フィルの60年代の録音である。

バスとティンパニのよく聞こえる録音だが、
全体のバランスから言って、重戦車が突進してくるような演奏。

久しぶりにカラヤンのその頃の録音をしっかり聴いた。
テンポが速いとかアーティキュレーションの好みとか、
カラヤンは無味乾燥であるとの批判もあった。

これはフルトヴェングラーに馴染んだような人から出そうな言葉である。
実際、戦後まもなく公の演奏会に復帰できない間は、
EMIで次々に録音したが、これらはあまり評価されていない。

恐らくフルトヴェングラーが嫌うところの、
物質主義的演奏になっていたのだろう。

この全集を聴く限り、ベルリン・フィルには、
まだフルトヴェングラーの柔らかーい音が
まだ残っているようにも思える節がある。

少なくとも楽団員たちには、
チェリビダッケに辟易している人が多かったらしく、
フルトヴェングラーのオケである自負をもち続けていたようである。

チェリビダッケよりはカラヤンがやりやすいというだけではなく、
カラヤンならフルトヴェングラーのような音が出せることを
期待した人もいたらしい。

カラヤンの政治力・独断力・ルックス・メディア戦略だけが
カラヤンを帝王にしただけではなく、
そもそも音楽家としての能力と感性が全ての基礎になければ
こうはならないだろう。

時代の要請と才能とそのほかの諸条件が合わさるとき、
時代の中軸が(大看板が)現れるのだろうということを
何となく考えた。

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