カサカサの感想ハダで備忘を保てるか

日々の感想、音楽の話、研究と教育を素材に、
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ブルーノートのモーツァルト?

2011-04-21 00:30:13 | 音楽の話
急遽行けなくなった友人の代わりに大阪フィルの京都特別演奏会に行ってきた。

プログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲第9番とマーラーの交響曲第1番。指揮は大植英次。

モーツァルトのソリストは小曽根真。はじめ「あ?」と思ったが、すぐに「ああ。」とも思った。小曽根氏にはジャズなイメージもあるが、モ-ツァルトなど古典派でもそのシンプルな曲想に対して軽快で流麗で正確な演奏を知っている。

9番のコンチェルトはたぶん初めて聴いたと思うが、モーツァルトに興味をもって聴くようになって四半世紀近くにはなる。初めての曲でもだいたい次に聞こえるはずの音や次の曲の展開は何となく察しがつく。おそらく、カデンツァはオリジナルだと思う。1楽章のそれがとても現代的な甘美さがあった。

しかし、そのようなことは問題ではなく、小曽根氏のモーツァルトは「ああ。」という納得を超え、「何という安心感」に浸るほどのきれいな演奏ではあった。そこに「あ?」が加わる。

どこか1楽章の展開部のようなところで(あったと思うが・・・)何だか音飛びしたような。小曽根氏の力量であれだけリラックスして演奏してミスタッチなはずがない。カデンツァでも、2楽章でも、3楽章のロンドにいたっては主題が反復したなら、徐々に音が飛び、裏拍の音があったらそれがインテンポとは別の等間隔を打ち始め、スルっと左手の音階の羅列の下で、ウィーン古典派の和声法がブルーノートになっている。

これは、小曽根氏はともかくモーツァルトを楽しみに来た人にはどうだったのだろうか。私個人としては小曽根氏の音楽を堪能できたからこれはこれで楽しかった。モーツァルトの時代も、一流の演奏家兼作曲家は即興演奏の出来栄えが人に腕前を見せ付けるひとつの方法であったようだし、作曲家が怒るだろうという批判は当たらないと思う。

後半のマーラーは指揮者のやりたいことがよく伝わるマーラーだった。周囲に楽器の音が増えても最初の掛け合いがどこまで続くのか、ずっと聴こえ続ける。楽譜が思い浮かぶような交通整理。ただもう少し、縦がきれいにそろえば交通整理が如何なくもっと大きな成果をもたらしたろうに。

マーラーの後、最後にもう1曲。バーンスタイン『キャンディード』の終曲。大植氏がマイクを持って和訳詞を読み上げ、被災地を元気にし、すばらしい日本国を作り上げ、心を痛めてくれる全世界のために演奏するという強い思いからの「渾身の」というに相応しい演奏が行われた。

終演後にラーメン屋に入ったが、ラーメンを待つ間も大植氏の言葉を思い出して胸が熱くなった。どうもあの地震発生以来、変な緊張感があり、胸がいっぱいになりやすい。感情のコントロールが何となく不安定である。

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