山口建設

社長の独り言

稲荷神社と狐が

2011年03月06日 06時53分38秒 | 日記
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こんな所に、稲荷神社がありました。
お客様との打合せの時間の前に着きましたので、近くをブラリと。。。

家並みの間に小さな稲荷神社が、おまけに住宅の入口の半分を占めてます。


              



赤い鳥居とそして狐の姿が。


              



良く見る風景ですね。

所で、稲荷神社の由来とどうして狐が一緒なのだろうかと調べて見ました。

全国に32000社あり、日本の神社の中で最大の勢力を持つのが稲荷神社で、その総本社は京都の伏見稲荷です。この稲荷の由来について、山城国風土記に次のような記述があります。

秦中家忌寸らの祖先である伊呂具は稲梁を積み上げるほど裕福だったが富におごり、餅を的として矢を射たところ、餅は白い鳥に化して飛び去り、山の峰に止まった。そこに稲が実ったので、ここの神社を「いなり」と呼ぶのである。その子孫の代になると前の伊呂具の非を悔い、その社の木を家に持ち帰り神を祭った。今でもその木を植えて根付けば福があり、枯れると福がないと言われている。
この物語について伴信友らは元々の形としては、餅を的にするようなことをしたために穀霊が逃げてしまい土地が荒れ家も衰えたのを、子孫が悔いてきちんとお祭りしたため元どおり豊かになったという話だったのではないか、と考察しています。これからすると稲荷はやはり「稲生り」あるいは「稲成り」だったようです。現在でも全国でほんの何社かだけ「稲生」とか「稲成」と書くいなり神社があります。
この神社の具体的な始まりの時期について鎌倉時代の「年中行事秘抄」や室町時代の「二十二社註式」では和銅年間に伊奈利山の三つの峰に神が示現したのでこれを祭ったとされています。


ところで何故キツネくんなのか、というお話ですが、これには様々な説があるようです。その中でも代表格が二つあります。先ず、よく言われているのが益獣説。うかの山に住んでおられる神様が、春になると里に降りてこられて「田の神さま」になり、人々に恵を与えた後、再び秋には山に戻られて「山の神さま」になる。農耕とりわけ稲作にとって大敵とも言えるネズミを退治してくれるキツネは、人々にとって益獣であり、田の神さま・山の神さまが遣わされた有難い神の使いである-という訳です。後の一つは本地垂迹説からの解釈で、仏教の荼枳尼天(だきにてん)が狐にまたがった姿で表現されることから、荼枳尼天イコール稲荷なので、イナリも狐が象徴とされた、というもの。さあ、どちらなのでしょう?

専門家ではない語り手には、どちらが的を射た答なのかは分かりません。でも、伏見稲荷大社の祭神として「佐田彦大神」「田中大神」が祀られていることは事実です。人里近くに出没はするものの、なかなか住処を明かさない。機敏な動作で小動物を捕らえ、たまには子供も一緒になって現れるが、犬のようには決してなつかない。そんな自然児のキツネくんが有り難いカミサマなのですね

そうすると、こんな小さな稲荷神社を建てた人の思いは十分理解できます。

そしてすぐ近くのお寺の境内の中にはもう少しで春の到来の。。。


              


                




               











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