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登山と車旅

長崎の山 2020.09.20 志々伎山(しじきさん)

2020年9月20日、日曜日、晴。会の山行で平戸の志々伎山(しじきさん)と屏風岳に登る計画だ。9時過ぎに志々伎山登山口の阿弥陀寺に着き、ストレッチ後、9時35分に出発。

石段を登り、神社の鳥居をくぐりる(額には志志伎神社とある)。登山道は山頂上宮への道なのだ。


鳥居をくぐってからの参道(登山道)は窪地の道で、直ぐに石段となる。
少し苔むす滑り易い道、石段と交互に続く。
そして神社手前の急な石段を登ると、

9時55分志自岐神社(ここの額にはこの字があてられている)に着く。社殿に通じる道には先の台風で倒れたであろう大木が横たわる。参拝し登山の安全を祈る。
神社の右手から車道(ここまで乗用車は登れるみたいだ)を2分ほど歩くと、
登山道は車道と分かれて左の山道を取る。
5分も歩かないうちに中宮跡に10時6分着く。
中宮から5分ほど歩くと、黒く太いロープが張られた登りとなる。以前登った時にはこんなロープは無かったと思う。
登り上がると、次は露岩の登りだ。ここにも同様のロープが張られている。なんと親切なことか。
ここから先は登山道沿いにロープがほとんど張られている。やはり参道主体の道なのだろう。
登り上がると腰掛け岩だ。
ここまで来てようやく景色らしきものが見られるようになる。
すぐに岩場の登りが現れる。少しばかり緊張する。
登り上がると視界が広がる。尖塔が志々伎山の山頂だ。あの山頂にどうやって上るのだ。
目の前にこんな景色が広がるがどこを見ているのやら??
ここを通過すると今までの道とは様相が変わり、右が切れ落ちた道となる。
途中に稚児の塔の案内を見る。
10時34分、明治時代に設置された石柱の道標を見る。「此処ヲ下レハ海岸ナラン欺ノ疑アレモ登路トナル也」と刻まれている。確かにここから一旦下るので一瞬道を間違えたかと思うからであろう。
この先も岩の滑り易い斜面、急坂を慎重に歩いて、

10時44分、尖塔に登る取付の草履置場に着く。ここから尖塔西側の登から東側の登りに変わる。山頂に至る高度感ある尾根の登りだ。

草履置場から数分も急坂を上ると、東側の視界が開ける。
志々伎湾の先に屏風岳がそびえる。左端に霞むのは生月島だ。
左側(西側)が尾根だがその先は絶壁なので、同じく絶壁ながら木の生えている東側を歩く。
西側はこんな感じだ。
山頂手前は左右切れ落ちたヤセ尾根だ。一往ロープが1本張ってある。

11時丁度登り詰めて山頂(上宮)に着く。360度の大展望だ。

北に志々伎湾、屏風岳(中央左寄り)、上段の野(右端)

西に江島(左)、平島(右)、上五島(右端)、中央に宇久島に向かうフェリーが。
右に目を向けると、平島(左)の右に上五島。
さらに右には、宇久島(中央左寄り)。手前は平戸島の西端、野子町。
山頂で集合写真を撮り昼食。
11時55分長い昼食を終え下山。
急坂を慎重に下るも、それでも濡れている岩と落葉の急坂で滑る人が数人出る。
岩場に出て眺める景色は、往路では分からなかったが上五島だ。
12時50分、阿弥陀寺手前まで下ったところで、右に四国八十八ヶ所霊場の案内を見て右に折れる。

直ぐに菩薩像の並ぶ階段の道となる。
下り終わった所までに八十八体の菩薩像が並んでいた。これで四国巡礼をしたことになるのだ。他の菩薩に刻まれていた年代から推測して作られたのは江戸時代の様だ。
直ぐに寺の境内に下り、登山口に12時58分下山。
下山後志々伎山の雄姿を眺められる地点に移動しパシャリ。屏風岳は時間の都合で断念。この写真を撮れただけで大満足の山行であった。

志々伎山の行程、
阿弥陀寺9:35-9:55志自岐神社10:01-11:00志々伎山(昼食)11:55-12:58阿弥陀寺


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