1995年7月29,30日、晴。最高峰の山だから一度は登っておこうとバスツアーに申し込み登る。添乗員は付かずバスの往復のみだ。ルートは河口湖口五合目からの往復だ。
29日、新宿を19時40分に出発し、21時50分に河口湖口五合目に着く。帰りのバスはここを明日の11時出発だ(行きと帰りのツアーが異なるため帰りの時間が早い、何とか間に合うだろう)
22時五合目を出発。六合目までは人もまばらでヘッドランプで足元を照らして登る。
六合目から急に人が増える、というか登りになったので詰まったのだろう。
前が詰まって思うように歩けない。道も砂地から火山岩に変わる。
標高3,000mを超えると5列縦隊で歩くようになりほとんど進まない。
見上げればヘッドランプの光が天国に通じる道のようだ。
2時をまわると風も出てきて寒い。ウインドブレーカーを着る。
渋滞の原因は山小屋の前が1人しか通れないためだ。かといって暗闇の中を闇雲に歩けば落石を起こしけが人が出る。
八合目でセーターを着る。渋滞で体が冷える。
標高3,300mぐらいだろうか。道の脇にうずくまっている人がいる。早くもダウンか?それとも高山病か?
4時を過ぎ8.5合目に着くと薄明るくなる。
4時30分九合目手前でご来光を見るため皆登山道に座り込み進めなくなる。吾輩はゆっくりしてられないのよー。仕方なく座り込む。
4時46分ご来光。
6時20分、浅間神社奥宮に着く。すべての登山者がここに集まってくる。人、人、人だ。
奥宮を抜けると人も少なくなり、頂上までもう少しだ。
このころはまだ山頂レーダードームが残っていたのだ。
剣ヶ峰の登りにかかると、十歩あるいては立止り休み、そしてまた歩き出すの繰返しで、山頂までの遠い事。
それでも6時45分山頂に到着。写真を撮ると云えども山頂を独占することは出来ない。梅雨明け土日の富士山は新宿駅のラッシュ並だ。
帰りのバスの時間があるので、山頂に長逗留は出来ず早々に下る。御鉢をめぐりながら雲海の上に眺めたのは、アルプスの山々や八ヶ岳だろう。
久須志神社まで戻り、少し登り返し下山道にすすむ。このわずかな登りで吐き気がする。高山病の症状だ。もう下るだけだから心配はない。
上からの落石に注意して10時10分五合目に下山。余裕でバスに間に合った。
富士山は人と埃でこりごりだ。
富士山の行程、
五合目22:00-22:30六合目-23:15七合花小屋-0:05本七合-0:55三千米-3:30本八合トモエ館-4:05八.五合-4:46日の出-5:00九合-5:45久須志神社-6:20奥宮-6:45剣ヶ峰7:00-7:35久須志神社-8:10須走口分岐-9:30六合-10:10五合目
でも、2度目の東京勤務の時の2005年8月30日に須走口から登っている。この時は朝8時ぐらいから登り頂上に着いたのは午後2時だった。途中の山小屋も小屋仕舞いして登山者も少なかった。
九合目あたりから吐き気がして、酸素を吸ってようやく山頂に着いた。3度目は無いだろう。