最近の私は、いつも電話を待っている。
夕方6時以降。
時間はだいたい決まっている。
でも、たまに遅い。
そして、ときにはかかってこない。
だけど、私はそれをどんな時間よりも楽しみに待っている。
まるでエサを待つ犬みたい。
そのときのために全ての時間があるみたい。
私の全てがその電話みたい。
違う。
そんなんじゃダメ。
依存は強さを食いモノにする。
分かってます。
だから
依存は自分をへなちょこにする。
「なにかに生かされてる私」
じゃなくて
「生きている私」
でありたい。
だから
「電話を待つための一日」
じゃなくて
「一日の中で電話を待つ」
ことをしたい。
必要条件だけれども、絶対条件ではいけない。
私は自立したいの。
もっと寄り添いたいけど自立と依存は共存できない。
依存は恐ろしい。
依存していたものがなくなったら一人では立てなくなる。
歩くことを足に依存してる私たちは
足を失ったら立つことさえままならない。
なくなることは恐いです。
だから
なくなっても大丈夫なように依存しない。
だけど、私は今日も電話を待っている。
夕方6時以降。
時間はだいたい決まっている。
でも、たまに遅い。
そして、ときにはかかってこない。
だけど、私はそれをどんな時間よりも楽しみに待っている。
まるでエサを待つ犬みたい。
そのときのために全ての時間があるみたい。
私の全てがその電話みたい。
違う。
そんなんじゃダメ。
依存は強さを食いモノにする。
分かってます。
だから
依存は自分をへなちょこにする。
「なにかに生かされてる私」
じゃなくて
「生きている私」
でありたい。
だから
「電話を待つための一日」
じゃなくて
「一日の中で電話を待つ」
ことをしたい。
必要条件だけれども、絶対条件ではいけない。
私は自立したいの。
もっと寄り添いたいけど自立と依存は共存できない。
依存は恐ろしい。
依存していたものがなくなったら一人では立てなくなる。
歩くことを足に依存してる私たちは
足を失ったら立つことさえままならない。
なくなることは恐いです。
だから
なくなっても大丈夫なように依存しない。
だけど、私は今日も電話を待っている。