楊に風と受け流す

新しい一日がやってくることは喜びです。

SIDA 【La vida en Honduras 32dias 】

2008-04-28 22:51:27 | La vida en Honduras
とうとう1ヶ月経ちました

早過ぎます



今、語学訓練を終え、首都であるテグシガルパに来ています

隊員宿泊所での生活は暇です
暇すぎて何でもできます

任地であるフティアパに向かうのは5月7日です
それまでの1週間強、さあ何をしよう



今日は語学訓練の地、Valle de Angelesで訪れた
エイズの患者の方をケアする施設のことを記帳しようと思う

そこは車でぼこぼこの道を15分ほど走った山の中にあった
アスファルトで塗装された道を抜け、さらに15分である
ひっそりとただずんでいた


とてもきれいな建物
清潔で、光に満ちてた

そこはエイズの患者さんだけじゃなく
難病のため他病院に見放された患者さんもいた

予防を怠ってエイズに感染してしまった人もいる
不可抗力の中、感染してしまった人もいる
生まれる瞬間、の子どもも


私にここにいる人たちの過去を想像することはできない
ましてや気持ちなど・・・



でも思う



同情するものかと
(同情:本来なら多義であるが、ここでは哀れみ、可哀相だと思うこと
という意味で使わせてもらいます)





その人の人生に同情などしない

可哀相な人生だなんて思わない




他の人がどうかは知らないけど
私は他人に自分の人生が可哀相だなんて思われたくない

「不幸な人生」

なんて他人に思われるなんて絶対いやだ




これは私の考えだから違う考えがあって当たり前

私は私の考えに従って誰の人生も「可哀相」なんて思わない
苦労が多い、大変な人生だとは思う
でも、同情したり哀れんだりはしない




と、思った




大切なのは“これから”だ


たとえ過去の出来事に同情したとしても
自分次第でこれからの人生どうにでもなる
多少のハンディは背負ってもくじけなければいい

ひとりできつかったら手を伸ばせばいい
その手を握り返してくれる人はいるから






その施設に行ってからだいぶ時間が経ったけど
そのときの気持ちを良くも悪くも残したかった

正しいかなんて分からない


でも


同情しない代わりに一緒に苦労を背負っていけるような人間でありたい

刹那の感情じゃなく、願わくば行動を



幸せを願わない人はいない

たとえ、それを掴む欲が薄い人はいても
その人の背中を押してあげる人が傍らにいたら

一緒に掴んであげる人がいたら
世界はもっと明るいのに