今日は勉強人生の娘が田舎牧師の母のお見舞いに行ってくれた、
「お祖母ちゃん、にこやかな顔してたよ、今日はいろんな検査を
したから少しだけ疲れたって言ってた」と娘、
「ありがとう、お見舞いに行ってくれて、ベットから飛び降りたり
してない感じだった?」と私、
「うん、まったく暴れてないし、せん妄もないししっかりしてたよ」と娘、
さて、改めまして我が家の家族の紹介をさせて頂きます、
田舎牧師、66歳、3人兄弟の真ん中唯一の男の子として山梨で産まれた、
電気の勉強と研究にはまっていたが、神の導きにより35歳から
牧師として用いられている、
好きな食べ物、豚カツ、サバ缶、
特技、おやじギャグ、農耕車と農機具の操作、
田舎牧師の母、91歳、4日前より入院中、
若いころ、学校の先生だった、
特技、絵、ハーモニカ、詩、
トマト、60歳、3人姉妹の末っ子として高知県四万十市に産まれる、
性格、きんぎよのうんこと言われるような・・
好きな食べ物、トマト、スイーツ、
天職、田舎牧師の助け人、ナースのお仕事、
長女、筋トレの娘、年齢不詳、昨年クリスマスのお兄さんの元へお嫁に行った、
次女、ナースの娘、年齢不詳、4年前東京の優しい銀行マンと結婚した、
1歳の息子にメロメロ、
三女、勉強人生の娘、年齢不詳、只今国試の合格発表を待っている
特技、掃除、
息子、年齢不詳、仕事人間、
趣味特技、チビ太との長い走り、
好きな食べ物、寿司、
愛犬、チビ太、黒ラブ、4歳、男の子、体重40kg、
ニックネーム、チョっちゃん、
趣味、関所とパックリ、ゴミあさり、
特技、兄ちゃんとの長い走り、
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
それではまた明日、イエス様の祝福があなたの上にありますように。
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。
互いに愛し合いなさい、わたしがあなたがたを
愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。ヨハネ。
2018,3,5. トマトでした。
「お祖母ちゃん、にこやかな顔してたよ、今日はいろんな検査を
したから少しだけ疲れたって言ってた」と娘、
「ありがとう、お見舞いに行ってくれて、ベットから飛び降りたり
してない感じだった?」と私、
「うん、まったく暴れてないし、せん妄もないししっかりしてたよ」と娘、
さて、改めまして我が家の家族の紹介をさせて頂きます、
田舎牧師、66歳、3人兄弟の真ん中唯一の男の子として山梨で産まれた、
電気の勉強と研究にはまっていたが、神の導きにより35歳から
牧師として用いられている、
好きな食べ物、豚カツ、サバ缶、
特技、おやじギャグ、農耕車と農機具の操作、
田舎牧師の母、91歳、4日前より入院中、
若いころ、学校の先生だった、
特技、絵、ハーモニカ、詩、
トマト、60歳、3人姉妹の末っ子として高知県四万十市に産まれる、
性格、きんぎよのうんこと言われるような・・
好きな食べ物、トマト、スイーツ、
天職、田舎牧師の助け人、ナースのお仕事、
長女、筋トレの娘、年齢不詳、昨年クリスマスのお兄さんの元へお嫁に行った、
次女、ナースの娘、年齢不詳、4年前東京の優しい銀行マンと結婚した、
1歳の息子にメロメロ、
三女、勉強人生の娘、年齢不詳、只今国試の合格発表を待っている
特技、掃除、
息子、年齢不詳、仕事人間、
趣味特技、チビ太との長い走り、
好きな食べ物、寿司、
愛犬、チビ太、黒ラブ、4歳、男の子、体重40kg、
ニックネーム、チョっちゃん、
趣味、関所とパックリ、ゴミあさり、
特技、兄ちゃんとの長い走り、
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
それではまた明日、イエス様の祝福があなたの上にありますように。
あなたがたに新しい戒めを与えましょう。
互いに愛し合いなさい、わたしがあなたがたを
愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。ヨハネ。
2018,3,5. トマトでした。
ありがとうございました。
すごい中で育ったのに警察官になられて
そんなコルネリオさんを尊敬します、
恨んだり、グレたりすることなく、すべて
プラスにとらえておられたことは
イエス様の助けですね。
それではまた、おやすみなさい。
昭和28年離農して北海道上磯郡知内町字元町に転居。
昭和30年北海道函館市万代町に転居(ここから貧乏の始まり)
ここは特飲街(多分いわゆる赤線)だった所で左 隣は連れ込み宿。
右隣は土方の家で親父が大酒飲みで岸壁から転落して死亡、奥さんは足が不自由で息子はシンナー遊びで死亡。
同級生だった娘は身体が弱く後に若くして亡くなったと聞いた。
その右隣は飲み屋で毎晩漁師達が大騒ぎで喧嘩が頻発して警察官が大活躍。
前は占い師やら潜り(潜水士)やらの底辺貧乏階層が居住。
潜りさん夫婦は夫婦喧嘩で時々場外乱闘を演じて子供達が泣き、それを近所の人達が取り囲む時代劇の貧乏長屋の様な光景だった。
その長女は函館では有名な絵描きの息子と結婚したが、夫婦喧嘩で腹を刺されて重傷。
次女は婦人警官になり唯一普通の人生を送ったらしい。
自分は少々悪さもしたが表の顔は真面目な振りした少年時代を送る。
中学校卒業後電気店兼時計店で働くが1年程で辞めて高校に行く
(当時はまだ中卒で働くのが当たり前の時代だった)
中学校高校で読書やら美術音楽キリスト教に触れて、現在の自分のライフスタイルの下地となった。
昭和41年大阪府警と神奈川県警に合格していたが、神奈川県警を選択して北海道を離れた。
青函連絡船の埠頭で少年少女会の人達が「神ともにいまして」と紙テープで送ってくれた。
当時は今の様に物や情報が溢れた恵まれた時代ではなかったが、出航前には国鉄職員が紙テープ大量にを配って別れの演出をしていた懐かしい時代でもあった。
出航時のドラの音と紙テープは独り立ちの区切りとして良いセレモニーだった。
函館時代は食事にも困る事あり本当に貧乏でしたが、おかげで自分で何とかしなければならいと言う気持ちにもなれたので自分にはプラスの体験だった。
その時々の小さな選択が全部現在の自分に繋がっています。
お義母さん、何とか足を切らないで済むと良いですね。