(馮学栄の2009年3月23日のブログからの引用)
科学、幸福、思想者と人類の前途について
馮学栄
「The Biggest Problem」は世間をびっくりさせる本であり、作者は胡家奇である。この本の主な内容は人類が科学技術を放任したままに発展し続ければ、いつの日に人類を壊滅できる一回的な究極武器が現れる。いったんこの武器が命知らずのやからの手に落ちると、人類が絶滅になることである。だから作者は災難から人類を救うために、全世界の聯合政府を創立し、科学研究を中止することを呼びかける。
皆様は彼のサイトをアクセスできる。(リンクはwww.hujiaqi.com)
本文はこの本の幾つか要点に評論したが、自分の未熟な意見をたたき台として述べることでより良い意見を引き出すと希望する。
昔の人と今の人と比べれば誰が幸福なのか?
胡さんは科学技術の発展を中止することを呼びかける一つの論拠は:現代人は科学技術の助けのもとで、人類空前の物質生活を享受している。しかし、人生の究極の価値---幸福---にとって現代人の幸福感が洞窟の原始人さえに及ばない。
胡さんをとても気に入るにもかかわらず、この論点についてはなかなか認めない。古い時、児童の早世率が非常に高く、妊産婦の死亡率も高く、医療レベルが低くし、人類は財産や配偶者を奪取するため必然に殺し合い、さらに獣の侵害、洪水、寒さ、食料不足を直面しなければならない……こんな人生は……あえて古人はどんなに幸福だと言え、大いに疑う恐れがある。
いったい昔の人と今の人と比べれば誰が幸福なのか?厳密に、答えがない問題だと思う。昔の人は幸福か不幸か?どんなに幸福か?彼ら自身しか知らなかったことであり、そして死人に口なし、また科学秤量法もないし、比較にならない。
手がかりを知るために、古典の記録の中で小さな糸口から多くの知識を類推するしか仕方がないかもしれない。しかし、失望させるのは、浩瀚なる古典には、君主リ・ユーの「妃がビンロウジを細かくかみ砕く、笑うとともにリ・ユーにつばを吐く」のような淫逸より、多くのはおそらく「石壕の下級役人」、「蛇を捕らえる人」、「炭を売る老人」の中のひいひいたる衆生の苦しみであった。これらを読んで心を痛める。
私は時々ボーヤンが書いた古典から転載した哀れな孤児を思い出す。「親が戦乱で亡くなり、孤独に城外にうつ伏せになって号泣し、非常に飢えると糞を食べ、数日死亡した」。父になる私は往々にしてそんな悲惨である光景を想像できない:喧騒の黄土で衣がぼろぼろの赤ん坊が苦り切った顔をして・・・非常に飢えると糞を食べて・・・数日死んでも死にきれない・・・
私は「物騒な時代にて人の命は草で作った犬に及ばない」という話を深く同意する。
そのために、胡さんの論点を少しばかり修正させてもらう。「古人は決して幸福ではなかった。現代の科学技術が既に現代人の多くの苦痛を解決したが、しかし人の欲望にはきりがないので、現代人も同様に幸福ではない」。このような論断は恐らくさらに実際に合うであろう。
科学研究を中止するか?それは是正が行き過ぎることを例えていう
胡さんは人類が武器を製造する技術能力が既に加速度発展の軌道に上がったことと考え、したがって早く科学研究を中止しなければ、人類がいずれ一次的に全人類を絶滅する一回的な武器を発明できる。いったんこのような武器が命知らずのやからの手に落ちると、人類が危険きわまりないである。
紛れもなく、胡さんの心配が必要である。これは可能であり、長くない未来さえ可能である。
それでも、このような理由で一切科学研究を中止するにはあまり独断すぎる。私は人類の科学研究を「有益」、「有害」に分けて対処すべきだと思う。がんとエイズの突破、さらに収穫が多い農作物についての研究などのような有益科学研究は続行するきであり、原子力エネルギー、 生物化学兵器研究などのような有害科学研究に対し、なるべく早く中止すべきである。『細菌兵器を禁止する規約》、《核拡散防止条約》などは人間がもうこの項目に従事することを説明した。しかし、胡さんの心配は依然として現実的な意義がある:現在の世界は依然として国家を単位としての競争社会であり、統一的な世界政府が現われなければ、これらの条約は徹底的に執行することができない。
でも、胡さんが気がつくかどうかであろう、たとえ統一的な世界政府があっても、きわめて少数の過激派はもし人間を絶滅したいなら、彼らは依然として誰も知らない隅に身を隠れ、絶滅の武器の研究と開発に従事できる。胡さんが気がつくかどうかであろう。
人は世の中に生きていて、いつもリスクがある---ちょうど我々は毎回外出して煉瓦が落ちるから頭を打って死ぬことを直面するリスクのようである-----リスクはどうしても避けられないことである。
世界政府がいまなお成功には程遠いである。
しかし、とても不幸なのは、人間が非常に利己的な動物である。現在世界政府を討論しては確かに時期尚早である。肝心なのは人類文明の現在の進化したレブルがまだ統一的な世界政府を創立する程度にはるかに遠いことである。
生物学者はアリの群の生活を観察したことにより、彼らの団結、協力方面の能力が人類よりはるかに優れていたことを発見した。多分、アリと比べ、人類は実はとても愚かな動物であり、世界政府というのは全人類にとって利益が弊害を上回るものを知ったものの、ただ各国家、各民族が自分の利益のために、あいにくそれを考慮しない。---これは現実である。
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