オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「ユートピア」 と 「DS」

2020年11月06日 | 主義・体制
 「Biden Lies Matter(BLM:バイデンは大嘘つき)」が話題になっています?。バイデンが米国大統領になった場合、世界中に存在する「嘘の証拠」を回収するために、混乱の謀略を仕掛けるかもしれません。ウクライナ周辺や中国周辺が最も危険ですが、例え回収が出来なくても、多くは破壊されます。

 「混乱から理想社会が生まれる」と考えるのは、「共産主義者」が考え付いた専売特許ではなく、「マルクス(似非)理論」を利用して世界革命を考え付いた独裁資本の戦略です。これを「Deep State(DS:深層国家)の罠」と言います。恰も「共産党」が仕組んでいるかのように見えて、実際は国際金融資本が操っています。「共産主義」は手段に過ぎず、目的は「平和な地球を構築する事」です。

 ビルゲイツは「新型ワクチン」が開発され医療体制が整えば、人口増を10~15%抑え込む事が可能と言ったそうです。

 また、誰が建てたかは分りませんが、
ジョージア・ガイドストーンには人口制限に付いて、八ヶ国語で書かれています。そこには、

(英文)Maintain humanity under 500,000,000 in perpetual balance with nature.
(中文)保持人類五億以下與大自然永恆共存

(日本語訳:自然と共存する為に、人口を5億人以下に維持する。)

と、刻まれているそうです。

 つまり、60憶人以上が過剰な生命と云う事です。「人のゴミ」を地下で「最終処分」をして、選ばれた5億人だけで「平和な地球に暮らす」事を理想としているのかも知れません。太古の動物の死骸が地下資源(石油)に成ったのだから、DSが60億人の「ゴミ処理」も自然の法則と考えても不思議は有りません。

 エントロピー増大則では、その究極値は無に帰する無限なのですが、その過程では散乱(混乱)する方向が自然と言えます。ヒトとして、究極まで知識や富を得て極致にイッテしまった人間は、「諸行無常」を悟るか、「ユートピア思考」に陥ります。何れも其処には「個」はなく、自己が宇宙に溶け込んでしまいます。

 「ユートピア」まで生き延びることが出来れば、「現世」での嘘や恥は意味が無いと考える為に、常人から見ると「人でなし」のように見えますが、「ユートピア人種」から見ると「現世がウソの世界で、そこに巣食う人種は未開人」であり、マニフェスト・デスティニーにおける奴隷に過ぎないと信じ切っています。若しかすると、余剰人口の60億人は「地下最終処分」ではなく、奴隷として再利用しようと考えているかも知れません。

 3億人の「多民族国家」であるアメリカの混乱が示す通り、グローバルな世界がディストピアである事は明らかで、現在に至っても暴動に参加する「奴隷」が存在します。解放された奴隷が、自由と称して「カネ」と引き換えに、自ら「奴隷」になる事で安心感を得ているのかも知れません。

Dystopia ≡ Utopia

 理想郷と地獄郷とは並立している同じ世界で、見る方向が逆転しているだけです。ユートピアでは全ての差別は許されないので、何処まで行っても均質です。人民が見る方向も見えるモノも同じで、全員同様に満足を義務付けられる世界です。違いは許されません。独裁者が支配する共産主義国家を「地上の楽園」と称賛したヒトが標榜する世界をユートピアと呼び、そこに住む人民にとっては等しくディストピアとなります。

 「ユートピア思想」のヒトは、自分を「選民」と信じているかも知れませんが、実際には唯一人の支配者しかその地位に就くことは出来ません。支配者が複数になると必ず差が生じます。一人の支配者と5億人の管理者。そして60億人の奴隷が生息する世界が「ワンワールドユートピア」の構造です。

 そこに辿り着く過程では、「不正・不義・殺戮・・・等々」何の意味も持ちません。米日戦争でも「不正」な殺戮で米国が勝ち、「正義」になりました。現在の米国大統領選でも「不正」を無意味化する超限選挙で「正義」が決まるかも知れません。



「戦前民主主義」 と 「戦後民主主義」

2020年10月11日 | 主義・体制
 日本の「民主主義」は、アメリカのお陰で戦後に広まり根付いたと思われがちですが、「民主主義」自体は戦前にもありました。ただ「民主主義」と対立する対象が戦前と戦後で変わっただけで、その対立軸は、戦前は「専制(占領)独裁」で、戦後は「共産(占領)独裁」です。

 戦前の欧米諸国と日本は独立国でその政治体制は殆どが「民主主義」でしたが、アジア・アフリカ諸地域は欧米諸国によって「占領独裁制」が布かれていました。細かく言うと他にも、並存可能で多種多様な思想を持った「国や地域」が有りましたが、これは「民主主義」の対立概念では無いので、ここでは考慮しません。

 「占領独裁制」を布かれた、特に東南アジア地域に関しては、日本の「民主主義」とは明らかに対立していて、この地域を解放しようとして日本は「大東亜戦争」を始めました。勿論、その為にはABCD包囲網を破壊しなくてはならないので、北のソ連とは不可侵条約を結び、3方位攻撃を始めました。実は、当初は南進西征作戦によって「BCD包囲網を突破する計画」でしたが、何故か山本五十六の主張が通りアメリカとも戦う羽目になり「太平洋戦争」が同時進行する事になりました。これが謀略であったことが証明されつつありますが、ここでは書きません。

 兎に角、日本はアジアを開放し各民族自決の「民主主義国家」を樹立させる為に戦った事は
「大東亜共同宣言」にも書かれているので明らかです。これを、一部の人(多くの戦後利得者)は「行き詰まった日本帝國の悪あがき」と主張しますが、この時以前のアジア諸国は欧米の植民地だったので、有色人種初の国際会議である「大東亜会議」を開催できる筈も無いのだから、行き詰まるも何も有りません

 戦前の日本は、為政者が国民の為の政治を行うと云う「目的民主主義」でしたが、戦後は「手続き民主主義」になり、選挙権の平等によって達成された事になっています。今では、更に進化(劣化)し「アンケート民主主義」に陥っています。

 民主主義国家とされている「欧米諸国」が「植民地政策」を反省したからかどうかは分かりませんが、各国の「学術会議」に相当する組織には「国費(税金)」は投入されていません。それは、学問が政府の方針に従うと「ルイセンコ理論」の様なトンデモ理論が生まれるからです。

 「ルイセンコ理論」は、メンデル遺伝学や自然進化論を「ブルジョア的」として否定し、「遺伝子に環境因子を(人工的に)与えると、その形質が変化しその獲得因子は遺伝する」と云う理論ですが、その(疑似)科学理論で農業部門では数千万人が餓死し、更に人間にもこれを応用し「反体制派」を強制収容所で教化する事で優れた形質の人間が「製造」出来ると信じたようです。これも、民を思えばこその「民主主義」と考えたかも知れません。今でも中共は「ウイグル・チベット人」等を教化しています。

 (疑似、似非)科学とイデオロギーが結びついて補強し合った結果として国家規模の被害を出し、更にこれを(善意で)輸出しようとする共産主義に対抗するのが「戦後民主主義」です。

 日本学術会議の「任命拒否6人衆」が、どのような「理論」を打ち立てたかは知りませんが、論文の引用件数は殆ど無いようです。例え「ルイセンコ理論」でも、政府の補助金なしで研究するのなら「学問の自由」は保障されています。税金で研究をしたかったら「国民が選択した政府の意志」を尊重するのが「民主主義」の原則です。

 少なくとも日本では、政府の意志に反したからと言って「収容所」や「再教育施設」に送られる事は有りません。



「立憲主義」 と 「民主主義」

2020年10月09日 | 主義・体制
 とある政治家が「我が党は、国民が主役の政党です」と言っていました。「国民が主役」なら国政選挙で第一党になった政党の「言葉」かと思いましたが、なんと支持率が5%以下の政党でした。「国民が主役」で有ると主張するのなら、自党を支持している5%の意見では無く、その政党を支持していない「95%の国民の意思」を聞くべきです。

 
100年程前の話ですが、「ボルシェビキ(多数派)」と名のる「少数派政党」が有りました。95%の人民を殺せば、残りの支持者5%によって100%の支持率になるので、どうやらこれが政党の綱領だったみたいです。実際には数百万人程度しか粛正することは出来なかったようですが、「独裁政権」を成立させ後に見事に数千万人の虐殺に成功し「名実ともにボルシェビキ」になり、1952年には目出たく「ソビエト連邦共産党」と改称されました。

 よく「XX民主党」と名のる政党の綱領には「一人ひとりが幸福を実感できる社会を確立します」くらいの事は書かれていますが、「敵対する勢力(反革命分子)を抹殺・粛正する」とは書いていません。それは当然の事で、自分自身が民主主義における「95%の国民に敵対する勢力」だからです。

 もしも「支持率5%」の勢力が政権を執る事になったらどうなるかは、過去の歴史を振り返れば想像に難くは有りません。生き残った国民(95%の人民ではない)一人ひとりが幸福を実感できる社会が確立します。当然、「過度な自己責任論に陥らず、公正な配分により格差を解消」も出来、「個人の情報や権利が保護され、個人の生活が侵害されない社会」が成立して、「独裁政府」の外には個人情報が漏れる事は無く、党員個人の生活も人民から侵害される事はありません。

 支持率5%の「民主主義国」には、「支配者(党幹部)」「国民(党員)」「人民(領土の住人)」などが住んでいて、その棲み分けをはっきりさせる事で国政を維持します。「支配者」は国家と憲法を支配し、「立憲主義」で支配されるのが「国民」です。その「国民」によって管理される層を「人民」と呼ぶことで、「国家民主主義」が成立します。「人民」とは「国民以外の人」のことで、主に原住民や外国人です。

 中共で言うと、党員以外の中国人が「原住民」で、満州・南モンゴル・ウイグル・チベット人などが「外国人」です。

 「人民」は名目上奴隷では無いので、自分の意思表示や行動の自由は認められていますが、「国民」の意志に反すると「立憲主義」により処分されます。昭和憲法の前文にも、

「・・・そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。・・・」

とあり、「国政は、国民の意志が至上であり、これは人類普遍の原理」と書かれているので、人民の存在を認めればその権利は「国民の下にある」事は明らかで「人類普遍の原理」と言えます。

 但し、この憲法自体に普遍性・絶対性が有る保証はありません。



「理性」 と 「神性」

2020年08月21日 | 主義・体制
マルクスは青年になってから「理性主義」を信奉し「神を否定」していたと言われています。

「神の預言」を聞いたとされる「歴史上の人物」は数人(宗教上では数十人)います。これを「理性的」に理解すると、「神の言葉」を聞いた人は絶対的に正しい事になりますが、それを「証明する人」は「その事実」を見た人以外にはいません。その「証言者」にしても、それが「神の預言」である事を理解でき無ければ証言できないので、その人も同じ「神の預言」を受ける事になります。つまり、その「証言者」は、「神」「預言」「預言者」の全てを理解していなければそれが「真実」である事を証明できないので、「預言者」よりも「証言者」の方が「神」に近いと言えます。

当然、その「証言者」にもその信憑性を証明する複数の「誰か」がいて、その繰り返しが宗教を形成します。このグループはその「絶対性」によって分裂することは無いのですが、若しも「分派」が起きた場合は、少なくとも「正しい一派」を除いて、嘘の証言をした事になります。つまり、 同じ「神」を信じる宗教・宗派の内、少なくとも一派を除いて、その他は「悪魔教」の宗派と言え、「神」の名を借りた「分派」は、その絶対性を否定する「悪魔」の為せる業と言えます。

これが宗教戦争の原因と言え、一神教の場合は、少なくとも一派を除いて残り総ては「神の意志」によって破壊される運命にあります。生き残る宗派が「何教」になるかは「神のみぞ知る」なので、淘汰を俟つしかありません。

ところで、マルクスはユダヤ教の家に生まれ、6歳の時に父親と共にプロテスタントに改宗し、31歳の時にロンドンで借金をして貧乏生活を送っていたようです。マルクス自身が「唯物論者」かどうかは判りませんが、少なくとも他人を批判する時は「唯物論(史観)」を駆使していたようです。マルクスの時代は、「フランス革命」が終わり、「神性政治」から「理性政治」への転換期で、宗教家に対する弾圧・虐殺が行われ、世界はその混乱を抑え込む為の政治体制の正当性を保障する「理論」を求めていました。

「神の絶対性」が「理性」を必要としない事は、過去の歴史を見れば明らかで、「宗教の名のもとに」多くの人命が消費されました。恐らくマルクスは「理性による政治」によって社会の矛盾を解決できると考えたと思います。ここからが「合成の誤謬」の始まりです。

「唯物史観」と「理性政治」は、一神教が染みついた欧米人にとっては最悪の組み合わせで、「唯物史観」を補強するのが「進化論」の適者生存です。そこには「心」が無く、生き残ったモノが正しく、正しいモノが生き残る訳では無いと云う理論です。

また、「理性政治」とは、最大多数の最大幸福と云う、所謂「民主主義」の原則です。合理的に見えますが、世の中は常に「無産階級(賃労働者)」が最大多数であり、成熟していない社会では「共産革命」を誘発します。実際にマルクスは、当然の帰結として「共産党宣言」と「賃労働と資本」を著し、「資本論」を書きエンゲルスの手によって出版されました。実践論としては、少数派によるプロパガンダで「ボルシェビキ(多数派)」を形成し、「民主主義の弱点」を利用した、「理性」による恐怖政治が行われました。

私はマルクスの著作を含み「本は読まない主義」なので内容は分からないのですが、恐らくは、最初に書かれた文章と後に書かれた意味とに齟齬が有る事は間違いないと思います。何故なら、「神の預言」と同様に、矛盾が無ければ異端者は現れない筈ですが、共産主義者には多くの分派が発生し、血みどろの戦いが繰り広げられました。それどころか、「共産主義思想を持たない多くの労働者も虐殺され、「民主主義」も否定されました。

「一神教」が染み着いた人間には、「神性」が無ければ「理性」は得られません。
「神道」が染み着いた人間には、無意識のうちに「理性」が備わっています。



「グローバル主義」 と 「共産主義」 Ⅱ

2020年07月12日 | 主義・体制
 【ネタ切れに付き、過去記事の「編集・加筆」です。】

「共産主義者」は言葉の意味を恣意的に変更し、時代と共に変遷を繰り返す為、ここでは、

プロレタリアート:労働者階級(無産階級)
ブルジョワジー :資本家階級(中産階級)
ブルジョワ   :個人としての国民(個人経営者も含む)
ピープル    :集合としての人民(国籍は問わない)

として、書きます。

 勿論、現実社会はこのような単純な構造では無いのですが、元々「共産主義思想」は机上の空論にすぎないので、定義を単純化しても問題は有りません。単純化した「分類・比較・考察」を繰り返し揚棄する事で「科学的満足」を得、自分が満足した段階で「正解」を得たつもりになります。「科学」それ自体が、自然現象の極めて部分的な合理性から成立する学問なので、「共産主義思想」を組み立てるには相性が良いのかも知れません。

 プロレタリアートとは「資本主義社会」における賃金労働者のことであり、当然個人資産を持っていますが、「共産主義」ではブルジョワジーに隷属しているとされ、無産階級とも言われます。つまり「共産主義」では、「一般市民」でも労働者を雇用すると資本家となり、ブルジョアジーと呼ばれて革命時に粛清(運が良くても粛正)されます。但し、共産党員になる事で「資本家」とは言われなくなり「国家資本を管理する同士」と呼ばれることで贅沢三昧が可能になります。

 近代国家での国民の構成を見ると「一般市民」が圧倒的に多い為、「共産主義革命」の第一段階で「市民階級(ブルジョア)」を分断し「ブルジョア革命」を成功させた後に、多くの一般市民を虐殺してその財産を奪い取り「プロレタリア革命」を完成させます。

 「資本主義社会」では、これらを階級とは考えずに単なる労使関係と見做します。労使間の往来は自由で、社長も株主との雇用契約で存在し、当然ながら従業員も株主に成れます。この「自由」から弾き出された一部の人が「科学的共産主義思想」を持ち出し、社会を分断して混乱を生み、社会構造が弱体化した隙に入り込んで、社会システムを乗っ取ろうとしているのが自由主義社会に棲む「暴力革命集団」です。

 「共産主義思想」は矛盾の産物であり虐殺の歴史しか残っていません。「科学的共産主義革命」が間違いであることは歴史的・科学的帰結です。「共産主義革命」が成功しても、その体制維持の為の原資は「革命以前に蓄えられた資本」なので、原資を使い果たすと次の「揚棄」が必然となり、「科学的」に定義を変え、人民の虐殺か領土の拡張が行われます。

 「共産主義者」は自由主義社会でしか(自由に)存在することは出来ません。過去の例から見ても、共産主義社会では「共産党」は自己崩壊をする為、自身を守るためには独裁体制が必然となります。それは「プロレタリア独裁」の名が示す通り、独裁者である「労働者階級」は国民を「労働資財」として使役する事が出来ない為、「共産党員以外の人間」を人民として「奴隷労働」させる以外に体制を維持出来ないからです。これが「科学的共産主義思想」の正体です。

 しかし、現在「共産主義を標榜」している多くの国家は「ブルジョア独裁共産主義」と言えます。権力を家族や仲間内で「個人的に委譲」する事で体制の安定化を謀ります。ブルジョアには個人経営者も含まれるので矛盾はないのですが、更に進歩した「ブルジョア独裁主義者」が考え付いたのが「共産党独裁グローバル資本主義」です。自国では共産主義体制を維持し、国外では資本主義を利用します。

 しかしこれは、元々世界の共産党も支配していた金融資本グローバル主義体制の乗っ取りを意味し、覇権争いで混乱が生じます。過去の「大侵略時代(通称:大航海時代)」に構築した覇権を中共が奪い取ろうとしています。白人の恐ろしさを忘れたのか知らないのかは判りませんが、失敗すると思います。

 「グローバル主義」の目的は、巨大資本による世界覇権で、そこには「ブルジョア」と「ピープル」がいます。「共産主義」の目的は共産党による世界覇権で、そこには「共産党」と「人民」がいます。何れも、支配階級と奴隷階級で成立します。

 これとは別に「国家主義」があり、その目的は国民による国家統治で、そこには「君主」と「国民」がいます。