テレビとうさん

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「教訓」 と 「反省」

2024年08月05日 | ニュース
 崖っぷちのフミョが「旧優生保護法対策推進本部」の初会合で、

「旧優生保護法に基づく政策が、約半世紀もの長きにわたって数多くの障害者の個人の尊厳をじゅうりんし、苦難と苦痛を強いてきた重い事実と教訓を踏まえなければならない。偏見、差別、優生思想の根絶に向け、政府一丸となって取り組んでいく」

と言ったようです。但し、これは最高裁による「優生保護法の違憲判決」が出てからの(副)反応なので、違憲でなければ「偏見、差別、優生思想」に対する反省も教訓も無かったかも知れません。

 「旧優生保護法」に対する「教訓と反省」が首相の本心ならば、裁判とは関係なく対策本部が設置されていた筈です。つまり、この「教訓と反省」は、先人の施策に対する反省であり、この教訓を生かして「国民の偏見を根絶させる」と云う意味になります。

 当時の国民が障碍者に対する偏見を持っていたかどうかは分からないのですが、(当時の)「司法・立法・行政」が持っていたと断罪された事になり、先ずは「裁判所・国会・政府」自身の反省が必要です。

 「反省」とは、先人の行為を顧みる事ではなく「自分を省みる事」です。

 先人(国民と統治機構)の責任は、民主主義を標榜している限り当時の国民の責任であり、しかも「良かれと思った行為」と考えられ、現在の国民による批判は無意味です。

 法律に瑕疵が有ると現国民が考えた場合は、法改正(廃止)をする見込みのある議員を選択することで、その義務を果たします。これが全てで、反省だけならサルでもできます。

 2020年3月に、「新型コロナ感染症(COVID-19)」は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」に含まれると解釈し、様々な「任意行動」が強制されましたww

 任意だからと言っても、拒否すると目的を達成できなくなるので、実質強制です。これこそが「(法に基づかない)差別」と言え、従わない人は、精神障碍者どころか犯罪者扱いされました。

 これは、「現国民」による教訓となり反省の対象と言えますが、その声は為政者側とそのシンパからは聞こえてきません。一部のネット民による反対運動は、その非力さを反省する必要は有るかもしれません。

 この「違憲行為」が糺されるには、現役世代が召された後に、次世代による「教訓と反省」に頼るしかないのかもしれませんww