オメガねこ

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「陸稲栽培」 と 「水田稲作」 Ver.2

2020年05月19日 | 歴史
 【「陸稲栽培」と「水田稲作」 の参照リンク付きバージョンです。】

 縄文時代は「狩猟採集」が特徴的ですが、「植物栽培」が行われていたことも確実視されています。当然乍ら、「植物栽培」をする為には定住空間も必要になり、移動範囲が小さくなる為に「家畜や愛玩動物」の存在も想像に難くありません。

 鹿児島県上野原縄文の森では、、弥生土器に類似した壺形土器が約7500年前の土層から見つかっていて、弥生式土器が「弥生時代」だけの特徴的な土器では無かった事を示しています。これは、装飾的な土器を「縄文土器」、実用的な土器を「弥生土器」との、近代日本人の固定観念が時代を区分してしまった結果だと思います。実は、弥生土器は東京府本郷区向ヶ岡弥生町で発見されたからであり、「弥生時代」が最初から有った訳では有りません。

 また、縄文時代も、エドワード・S・モース(米)が1877年に大森貝塚から発掘した土器を「 Cord Marked Pottery 」と報告したことから「索紋土器」⇒「縄紋土器」⇒「縄文土器」となり、時代の名称が「縄文時代」に成っただけであり、最初から「縄文時代」が有った訳では有りません。一連の時代を「前現代人」が勝手に切り分けただけであり、「前古代人」にしてみれば迷惑な話です。

 例えば、戦後の昭和時代を「ブラウン管時代」、平成を「液晶時代」、令和を「LED時代」と分割するようなモノで殆ど意味は有りません。ヒトは「食べたいモノを食べ」「見たいモノを見る」、只それだけで、時代とは関係ありません。

 話がズレたので、元に戻します。

 プラントオパール(PO)の応用研究が進み、特にイネ科植物はPOが残りやすく、炭素14の放射年代測定を利用して「考古学上の稲作の起源」を探る研究が成果を上げているようです。POから見た稲作の歴史を見ると、
 【詳細はリンクをクリックか、PDFファイルを参照(ダウンロード)】

 (長江以外は陸稲栽培で、長江は水田か陸稲かは不明。)

1万4千~1万6千年前:玉蟾岩遺跡(長江)。稲のモミが発見されているが、栽培かどうかは不明。
https://ja.wikipedia.org/wiki/長江文明#一覧

1万年前:長江流域(支那大陸)
https://ja.wikipedia.org/wiki/稲作#歴史

6千年前:岡山・朝寝鼻貝塚(日本列島)
http://www.asyura2.com/sora/bd19992/msg/152.html

2千6百年前:欣岩里(朝鮮半島)
https://ja.wikipedia.org/wiki/稲作#朝鮮半島への伝来

です。

 更に水田稲作の歴史は、

3000年前:福岡(日本列島)
https://ja.wikipedia.org/wiki/稲作#日本への伝来

2600年前:唐津・菜畑遺跡(日本列島)
https://ja.wikipedia.org/wiki/稲作#日本への伝来

2500年前:松菊里(朝鮮半島)
https://ja.wikipedia.org/wiki/稲作#朝鮮半島への伝来

に、なるそうです。




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