オメガねこ

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「自由・平等・博愛」 と 「理念」

2023年09月04日 | 政治
 「自由」は「平等」の反意語であり、「平等」と「自由」は共存できません。但し、日本人が得意とする「自主規制」を「自由」に含めた場合はこの限りではありません。また、「公平」の場合も、能力相応の分配なので「自由」を束縛しません。

 「博愛(philanthropy)」は、フランス革命の標語である「自由・平等・友愛(三大理念)」の、「友愛(Fraternité)」の誤訳とされていますが、条件付きで「人類みな兄弟」ならば「博愛=友愛」となります。

 「博愛:ひろく愛する事」は「平等愛」を意味し、これまた「自由」を束縛します。フランス革命時(1795年)のフランス人民は、「三大理念は白人男性に限る倫理観(人類みな兄弟では無い)」として十分に理解していた為に「Fraternité(友愛)」を標語にしたのかも知れません。

 フランス革命当時の白人女性は有色人種と同様に「三大理念」の対象外なので、「女性の自由」を制限する事は否定されません。その証拠に、フランスでの国レベルの最初の「男性のみの普通選挙」は1848年に行われましたが、女性(21歳以上)に選挙権が認められたのは1945年で、革命から150年を要しました。つまり、当時の女性は、愛の対象ではあっても「博愛」の対象では無かったと言えますww

 革命当時は矛盾の無い「三大理念」でしたが、現在では明らかに矛盾しています。但し、今では思想の自由も有り、理念なので、不平等な現実を平等と思う自由もあり、不自由さを他人に強制したいと思う自由(「お願い」に相当)も有ることから、矛盾しないと強弁する事は可能です。

 「倫理的行動」とは、他人が思う正しさに従う事で、民主制が布かれる以前は、「神」や「支配者」が決めた正しさを意味します。

 その対象がきわめて限定的である事で成立した「三大理念」が、総てを網羅する「普遍的理念」と成った場合は、その矛盾から「共産主義」と同様に全てが停滞し、世界は核戦争を俟たずに破綻します。

 「普遍的理念」とは、「完全な自由・均質な平等・萬物に対する博愛」であり、内部矛盾によって、神でも成し遂げられないのは自明です。「理念」は理念でしか無く、「統治の手法」としては、合理的な白人にとっては何の抵抗感も無く受け入れ可能な「標語」と言えます。

 「三大理念」や「核無き世界」「SDGs」などの理念は、「政府(DSの代理人)」による人民統治の手法に過ぎないのですが、政府が「理念」に縛られているようでは、日本の独立は夢のまた夢と言えます。

 解決する事のない矛盾する理念」によって、永遠に問題の無い所に問題を作ることが可能となり、「公金吸引スキーム」を構築することで、「世界革命行動計画」の計略の一つである「人民の貧困化」を加速する事だけは間違いありません。




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