オメガねこ

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「政教分離」 と 「靖国神社」

2019年12月07日 | 雑感
 昭和天皇が「靖国神社」に御親拝されたのは計八回で、1975年が最後になりました。東京リンチ事件(通称、極東軍事裁判)で「A級戦犯」とされて「リンチ」が実行されたのが1948年12月23日(現在の上皇誕生日)です。その所謂「戦犯」は、1952年から1955年にかけての4本の決議で赦免や釈放が為され、「A級戦犯」とされた「受刑者」は「公務死」とされ、それ以降日本の法律では正式に「A級戦犯」が存在しないことが決定されました。

 1978年にはリンチ事件で「公務死(法務死も含む)」された14名の御霊が「靖国神社」に合祀され、決着した筈ですが、1985年8月7日に朝日新聞が「(捏造)靖国問題」を報道し、中曽根首相の「靖国参拝」を切っ掛けに、中国共産党政府が初めて公式に「靖国参拝」への非難を表明しました。

 これ以降、国論が二分し、問題の無い所に問題を作る「あさひ情報操作会社」の面目躍如です。

 但し、この中共の「靖国参拝非難声明」は、レーガン大統領の「米ソ冷戦に対応する軍事協力の要請」を中曽根首相が断った事が、「米中軍事協力」に繋がり、中共が自信を得て(米国の協力の元)日本に圧力を加えた結果なので、靖国の国論二分化の最大の原因は「中曽根首相」にあると言えます。

 ところが、「米中軍事協力」によって「米ソ冷戦」が西側の勝利で終了しました。更にところが、「中共の軍事拡大」に繋がり「米中経済(覇権)戦争」が始まり、現在継続中です。

 憲法第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 憲法第四条
天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

 天皇には政治的権能は無いので、憲法に規定されていること以外は、政治行為ではありません。政治家が公務中に公費で「靖国神社」に参拝した場合で、且つ「靖国神社」が宗教施設だった場合は、憲法違反になりますが、天皇が靖国神社に御親拝された場合は、これは明らかに政治行為ではないので「政教分離」の範疇外になります。

 しかし、天皇は「国民統合の象徴」なので、国論が二分している事案に関して、どちらか一方の意見に従う事は出来ません。ましてや、首相が参拝しない(出来ない)靖国への御親拝は憲法に違反する恐れがあります。この事情を無視して、「A級戦犯が合祀してあるから天皇が御親拝できない。」等と言う人もチラホラみます。

 靖国神社は神社本庁には属していません。これは、靖国神社と神社本庁が共に「靖国神社は日本国の護持の神社であり、いつかは国に返すべきなので、特定の宗教法人の包括下に入るべきではない。」というの判断があるからだそうです。つまり、「靖国神社」は宗教施設ではないと云う事です。

 神社が宗教施設ではない事は、神道を知っている日本人なら理解できるとは思いますが、「靖国神社」が宗教施設では無い事は神道を受け入れない日本人でも理解できると思います。しかし、外国由来の日本人や、戦後の日教組教育を受けて騙された人の中には、理解できない人もいるようです。

 死者を祀ったり儀式・儀礼を行う事が「宗教」なら、黙祷も「宗教」になり、「靖国神社」は宗教施設と言えますが、公立学校での黙祷を「宗教行為」として反対する人はいません。現代の未熟な科学で考えると「死者は単なる物質」に過ぎないので、黙祷は馬鹿げた行為と言えますが、それでも殆どの日本人は黙祷をします。

 神社でも伝統として「死者を祀り、儀式・儀礼を行い」黙祷をするので、普通の日本人なら「馬鹿げた行為」とも「宗教行為」とも思いません。「神道」には教祖も教義も無く、英霊を祀る「神社」は究極的に形式化された伝統施設と言えます。



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