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「古代史」と「現代史」

2022年04月19日 | 歴史
 編纂当時では「現代史」であった「古事記・日本書紀」は、今では様々な解釈がなされ「記紀」と言われています。つまり、現在確認できる記紀そのものは「古代史」では無く「解釈を加えた当時の現代史」と言え、その当時の事実を「古代史」にするには記紀などを参考にして「新しい古代史」を編纂する必要があります。

 「古代史」は、現代の人が古代に付いて書いた歴史を言うので、決して「古代の人が書いた歴史」ではありません。但し、「記紀の神話部分」は当時の人にとっても「当時の人が解釈した古代史」と言えます。

 「記紀」と「魏志倭人伝」等の外伝とは相矛盾する所も多く、互いに「非科学的」な個所もあるようです。勿論、「科学」自体もその反論があってこその「科学」であり、反論が消滅した時を以って「常識」に成り下がります。当然、「常識」にも間違いが多く、その間違いが発掘された時点で「科学」が復活します。

 「記紀」に、その当時に間違いである事を承知の上で書いたのなら単なる「偽史和人伝」と言えますが、おそらくは当時の識者は現代の戦後サヨクと違い、不明な個所は「体制維持の為に」そう有って欲しい事を、良かれと思い書いたと思います。

 日本に伝わる「外伝」も、他国の識者が「そう有って欲しいと思っている」と判断し、互いに体制維持に利用できる場合は「歴史」になったと思われます。古い史書に関して、編纂者にとって都合の良いように「上書き」した例は多いようですが、他国の史書を合理的に反論し書き換えた例は無いと思います。

 つまり、現代の「超限戦」に於ける歴史戦とは違い、昔の人は「他国の歴史とは、その国の体制維持に必要な物語である」と理解していたという事です。現在の日本政府も、周辺諸国からの「外伝」に異を唱える事が少ないのも、古代人の意識が残っているからかも知れません。

 日本以外の多くの「歴史」は、「その地に住む人の継続的な歴史」では無く、現支配者の体制維持に力点が置かれているので、その歴史期間は非常に短く、これを補正するために「他人の歴史」を組み込み「自国史」とします。

 現代日本の場合は、「超限戦」に於ける他国史を自国史に取り入れた為に「自虐史」が成立しています。おそらくこれは、自国の体制維持よりも編纂者の利得が重要と考えた結果だと思われます。

 それは兎も角、「革命」の意味からすると、その前後で「継続的な歴史」とは言えないのですが、住民が民族浄化されない限り、その地域住民の継続的な歴史にはなります。民族浄化された場合は「地籍の変遷」に過ぎないので、革命後の「現代史」しか存在しません。それが「中国五千年の歴史」の正体で、単に「支那大陸五千年間の地籍の変遷」を示しているだけです。

 つまり、革命国家の歴史には継続性が無い為、易姓革命後の革命以前は常に「古代史」になります。これは、「記紀の神話部分」と実質的に同じことで、口伝を自由に解釈できます。

 地球を擬人化して「地球の歴史」と言う事も可能ですが、あくまでも「歴史」はヒトの意識の表象です。
「KABU&寛子さん」の記事によると、一言で「歴史とは人の物語」だそうです。但し、その論説文は長いので「閲覧注意」鴨?ww



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