「(旧約)聖書」はユダヤ教の正典で唯一の聖書なので単に「聖書」と呼ぶそうです。これは、キリスト教の正典でも有るとされていますが、実際には解釈変更された「新約聖書」がキリスト教の正典です。同様に、イスラム教では「(旧約)聖書」の一部分を「啓典」とはしていますが、コーラン(クルアーン)が唯一の聖典のようです。
つまり、矛盾が無く且つ絶対的な「聖書」には「解釈の違いがある」事を、聖職者が自ら認めていると言えます。そうでなければ、同じ「聖書」から複数の宗教・宗派が生まれ、千年以上に亘り共存する筈は無いと思います。時々小競り合いは有るようですが、概ね棲み分けが為されています。
また、「旧約聖書」から派生した多くの宗教・宗派の聖職者や信者は「無宗教の信者(共産主義者)」も容認しているようで、同じ宗派の信徒が迫害されても黙認するどころか「経済取引」すらしています。「ココロはカネで動く」の証左です。これは、仏教系などにも言えますが、仏教の場合は「絶対神」はいないので止むを得ないのかも知れません。
それどころか「阿弥陀仏の本願力では、悪人こそが救われる」とされる宗派も有るようで、悪はこの世の「標準的な付属物」で有る事が前提の宗教も有ります。一般的には、その悪は「自分は神に最も近い存在」である事を理由に絶対善を主張し、他者を支配する根拠にするものですが、実態はその取り巻きが実質的に支配している、単なる権威主義者の集まりです。
この事から考えると、スターリンや毛沢東は、自らの判断で被支配階級を数千万人殺したので、「真の宗教指導者」と言えるかもしれません。
「旧約憲法」は、マニフェスト・デスティニー(神からの明白なる使命)によって日本を統治したGHQが下賜した「占領統治法」ですが、一般には「日本国憲法」と呼ばれています。「汚れた日本人」が解釈変更をする前の「統治法」を純粋な「旧約憲法」と呼び、解釈変更された「現行憲法」を「新約憲法」とします。
「旧約憲法」では、一切の軍事力は持たないとされていて、それは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と書かれている事から、当然の帰結であり一切の矛盾は有りません。
ところが、直ぐに「朝鮮戦争」が始まって米国からの「解釈変更」の要求があり、「自衛力は軍事力ではない」とする「国際法典」に従い自衛隊が創設されました。「国際法典」には「敵国条項」が書かれていて、日本の場合は「敵国(日本)による新たな侵略の防止をアメリカが担保」しているので「自衛隊」の設立が適法になります。バイデン大統領も、上院議員の時に「アメリカは、日本を抑え込む為に日本国憲法を与えた」と言っていました。
つまり、アメリカの新解釈で「平和を愛する諸国民」は信頼するが「平和を愛さない諸国民」は信頼する必要が無いと云う事です。しかし、「旧約憲法」では、それでも信頼できる諸国民に助けてもらうべきだと云う解釈も成り立ちます。絶対神を信ずるアメリカ人でも、様々な宗派が有る事から、神勅によってGHQが創作した「旧約憲法」なら、尚更解釈の違いが有るのは当然とも言えます。
アメリカ人自身が「平和を愛する諸国民」に含まれるのなら「日米安保条約」は合憲と言えますが、そうでない場合は「違憲条約」になります。但し、今の所は「違憲判決」は出ていないので「アメリカ人は平和を愛する諸国民(実際は人民)」と云う事になります。
日本共産党は「旧約憲法」の成立時には憲法に反対したのですが、いつの間にか「護憲派」になりました。この変節が正しいと仮定すると、共産党は「旧約憲法」には反対だったが、解釈変更された「新約憲法」の信者になった事になります。つまり、「日本共産党はアメリカ人を信頼している」と言えます。
つまり、矛盾が無く且つ絶対的な「聖書」には「解釈の違いがある」事を、聖職者が自ら認めていると言えます。そうでなければ、同じ「聖書」から複数の宗教・宗派が生まれ、千年以上に亘り共存する筈は無いと思います。時々小競り合いは有るようですが、概ね棲み分けが為されています。
また、「旧約聖書」から派生した多くの宗教・宗派の聖職者や信者は「無宗教の信者(共産主義者)」も容認しているようで、同じ宗派の信徒が迫害されても黙認するどころか「経済取引」すらしています。「ココロはカネで動く」の証左です。これは、仏教系などにも言えますが、仏教の場合は「絶対神」はいないので止むを得ないのかも知れません。
それどころか「阿弥陀仏の本願力では、悪人こそが救われる」とされる宗派も有るようで、悪はこの世の「標準的な付属物」で有る事が前提の宗教も有ります。一般的には、その悪は「自分は神に最も近い存在」である事を理由に絶対善を主張し、他者を支配する根拠にするものですが、実態はその取り巻きが実質的に支配している、単なる権威主義者の集まりです。
この事から考えると、スターリンや毛沢東は、自らの判断で被支配階級を数千万人殺したので、「真の宗教指導者」と言えるかもしれません。
「旧約憲法」は、マニフェスト・デスティニー(神からの明白なる使命)によって日本を統治したGHQが下賜した「占領統治法」ですが、一般には「日本国憲法」と呼ばれています。「汚れた日本人」が解釈変更をする前の「統治法」を純粋な「旧約憲法」と呼び、解釈変更された「現行憲法」を「新約憲法」とします。
「旧約憲法」では、一切の軍事力は持たないとされていて、それは「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」と書かれている事から、当然の帰結であり一切の矛盾は有りません。
ところが、直ぐに「朝鮮戦争」が始まって米国からの「解釈変更」の要求があり、「自衛力は軍事力ではない」とする「国際法典」に従い自衛隊が創設されました。「国際法典」には「敵国条項」が書かれていて、日本の場合は「敵国(日本)による新たな侵略の防止をアメリカが担保」しているので「自衛隊」の設立が適法になります。バイデン大統領も、上院議員の時に「アメリカは、日本を抑え込む為に日本国憲法を与えた」と言っていました。
つまり、アメリカの新解釈で「平和を愛する諸国民」は信頼するが「平和を愛さない諸国民」は信頼する必要が無いと云う事です。しかし、「旧約憲法」では、それでも信頼できる諸国民に助けてもらうべきだと云う解釈も成り立ちます。絶対神を信ずるアメリカ人でも、様々な宗派が有る事から、神勅によってGHQが創作した「旧約憲法」なら、尚更解釈の違いが有るのは当然とも言えます。
アメリカ人自身が「平和を愛する諸国民」に含まれるのなら「日米安保条約」は合憲と言えますが、そうでない場合は「違憲条約」になります。但し、今の所は「違憲判決」は出ていないので「アメリカ人は平和を愛する諸国民(実際は人民)」と云う事になります。
日本共産党は「旧約憲法」の成立時には憲法に反対したのですが、いつの間にか「護憲派」になりました。この変節が正しいと仮定すると、共産党は「旧約憲法」には反対だったが、解釈変更された「新約憲法」の信者になった事になります。つまり、「日本共産党はアメリカ人を信頼している」と言えます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます