オメガねこ

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「生物」 と 「アバター」 ②

2021年12月17日 | 科学
 「生物 と アバター ①」に書いたように、6日目に「神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくられた。 」と云う事実から、人は神のインスタンスであり、「生物」の可能性が有ると推定できます。つまり、人は「神のアバター」なので、アバターも「生物」になり得ると云う事です。

 但し、仮説として「神は生物である」が成立し、神は「生物のインヘリタンスを人に与えた」と云う前提が必要になります。継承を受けていない可能性も有るので、確定は出来ません。

 生物学的には「生物とは生命現象を示すモノ」とされていますが、例えば、「四角い形を四角形と云う」とするような循環型定義では意味が有りません。勿論、四角形を構成する「角」や「直線」の定義もはっきりせず、単に人間が共有する「生物」や「形状」の概念でしかありません。

 「非ユークリッド幾何学」では、平行な直線は交差する(場合も有る)とされています。逆に、隣り合った円や二重円は平行であるとも言えます。光は直進するとされていますが重力場によって曲がります。その「交差したり、曲がった直線」を直線とするか曲線とするかは定まっていません。「現実世界の直線は曲がっている」とするのが、正しいような気もします。

仮説「直線は曲線の一部である。」

 また、「生命現象」の定義も定かではありません。「生命現象」の分かり易い例としては、「自立して動く」とか「種として子孫を残す」などです。「種として子孫を残す」場合は間違いなく「生物」と言えると思います。それは「神が自分に似せて人を創った」ことと同じなので、誰も反対はしないと思います。

 「自立して動く」は、脳死した寝たきり老人を外部からの心肺装置で「動かしている」場合は生きているようには見えませんが、埋め込み型の心肺装置で「生きている」場合は、「生命現象」に見えるかも知れません。この「現象」も人の概念でしかなく、科学的には個体として「生物」と言えるかどうかは分かりません。

 但し日本では、

天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。

とされ、八百萬の神は「宇宙が生成される時に神が成られた」とされているので、宇宙のそれぞれの成分に神が宿っていると考えるのが「科学的事実」と言えます。「神の粒子」として「ヒッグス機構(場の理論)」がそれを証明しつつあります。これは「一神教を否定」する事から、多くの西洋人が受け入れる迄には後数百年を必要とするかも知れません。

 それは兎も角、日本では神の子孫も「神自身の成分から生成」されて、その後も実在するモノや現象を利用して「この世」を生成したのですが、「あの世(黄泉の国)と、人を含む生物」は神が創ったかどうかは分かりません。おそらくですが、物質と反物質の如く「カミとモノ」は、同時生成されたと思われ、その「モノ」に「ヒト」が含まれていると考えられます。

 つまり、神道では「人と物」を差別する事が無く、そこに「反物質」として「神」が内在します。物質と反物質の発現(分離)に時間差(距離)を生じる事から、そこに「重力子」が生成されると考えられます。

仮説「ヒッグス粒子は物質と反物質のΔ時間である。」

注)諸説・異論あり。

 次回は「アバター」についての考察です。



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