オメガねこ

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「真実」 と 「虚実」

2019年05月25日 | 思想・思考

 「虚実」とは一般に「虚構と事実」や「虚証と実証」の反義語を合成した熟語(合成語)ですが、ここでは「真実」に対する対義語(反対語では無い)として「虚実」と書きます。 例えば、「善」の反対語は「悪」で、「右」の対義語は「左」です。左右の手は反対方向に付いている訳でも無く、相反する動作をする訳でも無いので、左右は互いに対義語と言えます。

 「事実」の意味は「現実に起こり、または存在する事柄。本当のこと。 」で、他人がこの「事実」を認める為には再現性を必要とします。その反対語を「虚構」と言い、作り話や事実らしいことも含みますが再現性はありません。再現性が有るように見える「マジック」は錯覚ですが、これは錯覚の範囲内での「事実」と言えます。

 「嘘も100回言えば真実になる。」と言いますが、これは「事実」かも知れません。コマーシャルを繰り返し放送する事で商品が売れる「事実」が証明されているので、「これは錯覚の範囲での事実」とも言えます。しかし、この「嘘」その事自体が「事実」では無い事を知っているので「嘘も・・・」と書いて有り、その結果として「事実」ではなく、「真実」になると言っています。

 「真実」とは「社会性を持った事実」です。 ある人が(確実に)夢を見た場合に於いて、この夢はその内容を含めて「事実」と言えますが、この「事実」を誰にも言わなかった場合には、夢を見た事自体は「真実」とは言えません。 しかし、この実際に見た夢を「事実」として他人に話した場合には「社会性を持つ」事になり、聞いた人が「信用した場合」を「真実」と言い、反対に「信用されなかった場合」は「虚実」と、ここでは定義しています。

虚実:社会性を持たない「事実」。

 「虚数」の「虚」は嘘ではなく、見えませんが「実際に定義された数字」です。勿論、「実数」も物の数として確認は出来ますが「定義された数字」に過ぎません。同様に「虚実」の「虚」は嘘ではなく、「確かに見た夢」のように再現性は無いが「実際に有った事実」です。

 とある国会議員が「自分の手から金粉が出てきた。」と云う意味合いの事を言ったそうです。恐らく、再現性は有りません。これを一般的に「嘘」と言いますが、当人にとってみれば「事実」かも知れません。それは、夢かも知れませんし、錯覚や誤認かも知れませんが、それでも本人にとってみれば「事実」と言えます。 実際に、病理学的に「金色の点がキラキラ見える幻視」があるそうですし、ある種の飲食物を摂取した後の汗が乾燥して金(黄)色に見える場合も有るそうです。 これらの可能性を無視して「嘘」と言うのは、この現象を表現する「言葉」が無いからです。この再現性のない「事実」を「虚実」と定義すれば、科学の発展にも寄与します。

 例えば、「UFO」は未確認飛行物体の意味であり、その意味からしても再現性は期待できませんし、これは「嘘認定」される場合が殆どですが、アメリカ国防省は確認作業を始めました。「UFO」も「虚実」の一つと言えます。

 お墓参りや神社参拝なども本来は「虚実」であり、本人や先祖の安寧、御利益は当人以外には確認できません。あくまでも、ここで言う「虚実」は「虚構と事実」ではなく、本人以外には確認できない「虚ろな事実」です。




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