「年の分割」 と 「日の分割」
「一日」は「午前と午後」とか「昼と夜」に分割されていますが、「一日を2日」に2倍する事には合理性は有りません。それは、「日」は太陽が出ている時が「一日」で、太陽が沈んだら「日」では無くなり、夜を「次の日」とは言えないからです。古代人も考えたと思いますが、合理的には、
日の出~日の入=1日
日の入~日の出=1夜
↓
日の出~日の入=2日
日の入~日の出=2夜
↓
・
・
↓
日の出~日の入=15日
日の入~日の出=15夜
↓
・
・
です。
「三日月」は、「月齢2(平均2.2くらい)」で「月の出」は「日の出」のすぐ後なので肉眼で見ることは難しく、「月の入」は「日没のすぐ後(約2時間後)」で明るい側を右下(南半球では左下)にして沈むそうです。「朔(新月)」は「月齢0」なので、陰暦の「一日」とはズレが生じます。
何故「月齢2の月」を「三日月」と言うのかを考えると、その月を見るのに「朔から数えて明るい日が3回訪れたから」と思われます。「月齢0:朔(新月)」「月齢1:既朔」「月齢2:三日月」の三日です。つまり、太陽が3回見えたので3日です。その後は「四日月」とか「十五日月」とかは言いません。「三日月」以降は月そのものが「肉眼で確認可能」なので「日」は必要ありません。「十五日月」に相当するのが「十五夜」ですが月齢は14で、満月をいつから「十五夜」と言ったかは判りませんが、昔は「望月」と言われていました。
陰暦の場合は「月の満ち欠け」で「一ヶ月を約30日」に定義したのは理解できますが、太陽を見ても「一ヶ月」の長さは決める事は出来ません。更に、「一週間」の長さを決めるのは「神がかり」です。
キリスト教のクリスマスは常用時で言うと「12月24日の日没から25日の日没まで」を言い、クリスマス・イブはクリスマスの当日(24日の日没)から始まります。教会歴では日没(通常の前日の日没から当日の日没)を基準に「一日」と考えているようです。そして、一日を「闇と光で二分割」しています。但し、この「一日」は「One Day」で、「Day」が何を意味しているのかは私には判りません。
「一日」を二分割しても「日数」を二倍にする根拠は無いので、今では「一日」は「昼夜合わせて1日」です。太陽がが約365日で元の位置に見える事は昔から知られていたと思います。また、「冬至と夏至」以外には、1年に二回太陽が同じ位置に来ることも知っていたと思います。「風景の違い」で一年を「四季」で分けていますが、科学的には「影の長さ」の変化で判断するのが合理的です。影が一番長い日を「冬至」とし、一番短い日は「夏至」です。その中間に「春分」と「秋分」が有りますが、大気の屈折率が有るので正確な中間値を「古代の人」が計算するのは難しかったかも知れません。今でも「目で見える日の出」と「理論上の日の出」には5分ほどの差がありますが、気にする人はあまりいません。
日本での日々の影の長さ(南中時)は、
最長(冬至)⇒中間(春分)⇒最短(夏至)
最短(夏至)⇒中間(秋分)⇒最長(冬至)
ですが、それぞれの日数を数えてその合計を1年にする明確な根拠は有りません。干支(十干と十二支の組み合わせ)で60年とする「数詞」にも根拠は無く、「殆どの国(全ての国ではない)」では無視をされています。
古代の人が「地球が太陽を365日で一周する」事を知っていれば「一年は365日」と考えても不思議はないのですが、地球の公転を知っていた証拠は有りません。それでも、「一日」の根拠である「太陽は東から登り、翌日に再び東から登る」ことは間違いなく知っていたと思います。影の長さは日々変化し、「最長⇒最短」は少しづつ暖かくなる(陽の)一年、「最短⇒最長」を寒くなる(陰の)一年とする「二倍年」を考えても不思議は有りません。と、言うよりも寧ろ「一年を12か月に分ける」よりもはるかに合理的です。
勿論、「影の最長日」を一年の初めと考え、「影の最短日」は一年の途中経過に過ぎないとして、次の「影の最長日」を一年の終わりとする事にも合理性は有ります。古代の人が一年をどのように考えていたかは判りませんが、「推論」に矛盾が無い限り間違いとは言えません。但し、記録が残っていないのは事実です。
「一日」は「午前と午後」とか「昼と夜」に分割されていますが、「一日を2日」に2倍する事には合理性は有りません。それは、「日」は太陽が出ている時が「一日」で、太陽が沈んだら「日」では無くなり、夜を「次の日」とは言えないからです。古代人も考えたと思いますが、合理的には、
日の出~日の入=1日
日の入~日の出=1夜
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日の出~日の入=2日
日の入~日の出=2夜
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日の出~日の入=15日
日の入~日の出=15夜
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です。
「三日月」は、「月齢2(平均2.2くらい)」で「月の出」は「日の出」のすぐ後なので肉眼で見ることは難しく、「月の入」は「日没のすぐ後(約2時間後)」で明るい側を右下(南半球では左下)にして沈むそうです。「朔(新月)」は「月齢0」なので、陰暦の「一日」とはズレが生じます。
何故「月齢2の月」を「三日月」と言うのかを考えると、その月を見るのに「朔から数えて明るい日が3回訪れたから」と思われます。「月齢0:朔(新月)」「月齢1:既朔」「月齢2:三日月」の三日です。つまり、太陽が3回見えたので3日です。その後は「四日月」とか「十五日月」とかは言いません。「三日月」以降は月そのものが「肉眼で確認可能」なので「日」は必要ありません。「十五日月」に相当するのが「十五夜」ですが月齢は14で、満月をいつから「十五夜」と言ったかは判りませんが、昔は「望月」と言われていました。
陰暦の場合は「月の満ち欠け」で「一ヶ月を約30日」に定義したのは理解できますが、太陽を見ても「一ヶ月」の長さは決める事は出来ません。更に、「一週間」の長さを決めるのは「神がかり」です。
キリスト教のクリスマスは常用時で言うと「12月24日の日没から25日の日没まで」を言い、クリスマス・イブはクリスマスの当日(24日の日没)から始まります。教会歴では日没(通常の前日の日没から当日の日没)を基準に「一日」と考えているようです。そして、一日を「闇と光で二分割」しています。但し、この「一日」は「One Day」で、「Day」が何を意味しているのかは私には判りません。
「一日」を二分割しても「日数」を二倍にする根拠は無いので、今では「一日」は「昼夜合わせて1日」です。太陽がが約365日で元の位置に見える事は昔から知られていたと思います。また、「冬至と夏至」以外には、1年に二回太陽が同じ位置に来ることも知っていたと思います。「風景の違い」で一年を「四季」で分けていますが、科学的には「影の長さ」の変化で判断するのが合理的です。影が一番長い日を「冬至」とし、一番短い日は「夏至」です。その中間に「春分」と「秋分」が有りますが、大気の屈折率が有るので正確な中間値を「古代の人」が計算するのは難しかったかも知れません。今でも「目で見える日の出」と「理論上の日の出」には5分ほどの差がありますが、気にする人はあまりいません。
日本での日々の影の長さ(南中時)は、
最長(冬至)⇒中間(春分)⇒最短(夏至)
最短(夏至)⇒中間(秋分)⇒最長(冬至)
ですが、それぞれの日数を数えてその合計を1年にする明確な根拠は有りません。干支(十干と十二支の組み合わせ)で60年とする「数詞」にも根拠は無く、「殆どの国(全ての国ではない)」では無視をされています。
古代の人が「地球が太陽を365日で一周する」事を知っていれば「一年は365日」と考えても不思議はないのですが、地球の公転を知っていた証拠は有りません。それでも、「一日」の根拠である「太陽は東から登り、翌日に再び東から登る」ことは間違いなく知っていたと思います。影の長さは日々変化し、「最長⇒最短」は少しづつ暖かくなる(陽の)一年、「最短⇒最長」を寒くなる(陰の)一年とする「二倍年」を考えても不思議は有りません。と、言うよりも寧ろ「一年を12か月に分ける」よりもはるかに合理的です。
勿論、「影の最長日」を一年の初めと考え、「影の最短日」は一年の途中経過に過ぎないとして、次の「影の最長日」を一年の終わりとする事にも合理性は有ります。古代の人が一年をどのように考えていたかは判りませんが、「推論」に矛盾が無い限り間違いとは言えません。但し、記録が残っていないのは事実です。
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