「世界の神話」は大概、下地となる事実がない場合が多いのですが、「日本の神話」は「事実」を時の権力者の意向によって書き換えられ「真実」として語られたようです。
事実:実際に有った(神が成した)事。
真実:人が事実と認めた(考えた)事。事実とは限らない。
それでも、主人公の「地位(神か人か)」や「善悪(見る方向によって変わる)」は兎も角、書かれていることは「実際に起きた事」をなぞっていることは確かなようです。
「物部氏」の「物」の字義について様々な解釈がなされているようですが、私は「牛(4世紀に成立したヒンズー教では神聖な動物として崇拝の対象)」と「勿(なかれ:禁止の意味)」で、「神事に口出す事勿れ」から、神が支配するモノ以外の実体(神の内在は可)を意味すると考えています。
つまり、天皇が「神の領域(祭祀)」のみに専念できるよう、「物部氏」は人が認識できる「モノの部(もののぶ)」を担い「もののふ(武士)」として、「権力と権威」を分離しようとしたと考えるのが合理的です。
「天照大御神」が実在の人物で誰に当たるのかは諸説あって解らないのですが、「卑弥呼説」が有力のようです。政争や戦争で死亡した人は、敵味方に関係なく、神として名を遺すのが日本流で、古代からの伝統だと思います。
これが「歴史の改竄」とされないように、「神話」として残せば過去の恨み辛みも晴れ、後世に政争の具として引き摺ることが無いと考えられたように思えます。
現代になると、過去(明治以前)のワダカマリも無くなり、「神話の歴史化」に精を出す人も増えているようです。
しかし、日中戦争(正しくは、日支事変)と第二次大戦(正しくは、アジア解放独立戦争)を未だにワダカマっている人も多く、現存する「保守」にも「革新」にも、それぞれ「親米派」と「親中派」がいて日本の政治が混乱しています。
「親中派」にも「親共産党(中共利権)派」と「親国民党(民国利権)派」がいて、「シン歴史話」にワダカマっている所為か「真の台湾(日本統治由来)派」はあまり見掛けません。
「日本神話(古事記・日本書紀など)」のように、敵味方の区別なく「第二次大戦の英雄」を神に昇格すれば、若しかすると世界はもう少し平和になるかもしれません。
事実:実際に有った(神が成した)事。
真実:人が事実と認めた(考えた)事。事実とは限らない。
それでも、主人公の「地位(神か人か)」や「善悪(見る方向によって変わる)」は兎も角、書かれていることは「実際に起きた事」をなぞっていることは確かなようです。
「物部氏」の「物」の字義について様々な解釈がなされているようですが、私は「牛(4世紀に成立したヒンズー教では神聖な動物として崇拝の対象)」と「勿(なかれ:禁止の意味)」で、「神事に口出す事勿れ」から、神が支配するモノ以外の実体(神の内在は可)を意味すると考えています。
つまり、天皇が「神の領域(祭祀)」のみに専念できるよう、「物部氏」は人が認識できる「モノの部(もののぶ)」を担い「もののふ(武士)」として、「権力と権威」を分離しようとしたと考えるのが合理的です。
「天照大御神」が実在の人物で誰に当たるのかは諸説あって解らないのですが、「卑弥呼説」が有力のようです。政争や戦争で死亡した人は、敵味方に関係なく、神として名を遺すのが日本流で、古代からの伝統だと思います。
これが「歴史の改竄」とされないように、「神話」として残せば過去の恨み辛みも晴れ、後世に政争の具として引き摺ることが無いと考えられたように思えます。
現代になると、過去(明治以前)のワダカマリも無くなり、「神話の歴史化」に精を出す人も増えているようです。
しかし、日中戦争(正しくは、日支事変)と第二次大戦(正しくは、アジア解放独立戦争)を未だにワダカマっている人も多く、現存する「保守」にも「革新」にも、それぞれ「親米派」と「親中派」がいて日本の政治が混乱しています。
「親中派」にも「親共産党(中共利権)派」と「親国民党(民国利権)派」がいて、「シン歴史話」にワダカマっている所為か「真の台湾(日本統治由来)派」はあまり見掛けません。
「日本神話(古事記・日本書紀など)」のように、敵味方の区別なく「第二次大戦の英雄」を神に昇格すれば、若しかすると世界はもう少し平和になるかもしれません。
コメントありがとうございます。
テレビとうさん さんの仰る「大多数の『普通』の取り合い」が、問題でないものを問題にし、さらに問題を複雑にしていると、私も思うときがあります。
読んでくださりありがとうございます( ^_^)
テレビとうさん さんのご投稿、いつも楽しみに拝読しております。
今年もよろしくお願いします(*^^*)