命題
まだ起きていない、或いは、まだ確認されていない特定の事象に於いて、取り得る状態の「確率」の総和は1.0となり、例えば、コインの裏・表が出る確率は其々0.5である。
これは論理学での命題ですが、現実世界ではコインが立つ「可能性」も有るので「偽」となります。しかしながら、これも正確では有りません。ここでの「可能性」の意味は、「起こり得るか、起こり得ないか。」の判断なので「1か、0か」と書けますが、「1.0か、0.0か」とは書きません。それは「可能性」では「0.5」等の中途半端の値は取り得ないからだとされます。つまり、「有・無」等を数値化した場合の「可能性」の有効数字は「一桁で、0か1」であると言えます。
また、「正確ではない」とは、一般に「論理上のコイン」は「裏と表しか出ない」事が前提になっているからで、この命題に「論理上の状態数が2のコイン」か「現実のコインで、状態数が3以上ある」かの指定が有れば、正確に答えられる「かも」しれません。
現実のコインの場合で「可能性」を考慮すると、「確率:P」の数値の取りうる範囲は「0.0<P<1.0」であり、最初の命題は間違いと言えます。つまり、コインの状態は「表・裏」以外に存在しないことが証明されない限り「コインの状態数(確率の成分の数)」は確定しないので、既知の確率の総和は1より小さいと言えます。ここで「コインの状態数=3」で、立位の確率が0.2としてと定義すると、コインの裏・表が出る確率は其々0.4となりますが、現実には更に他の状態が有る「可能性」も排除できません。
理屈っぽい人に言わせると「可能性」には大きさは無く、「有る(1)、無い(0)、の二者択一である」と言い、「0と1は状態値であり大きさを示すモノではない」ので「可能性が大きい、小さい。」と云う表現は論理的には間違いであると主張します。
文章表現では、「子供の可能性は無限大である。」とか「遺伝子組み換え技術は、人類に恩恵をもたらす大きな可能性を秘めている。」など、「可能性」には「0と1」以外にも、無限大迄の任意の数値を与える事が可能で「大きさ」が有ると言えます。
また、「コインの裏表の確率の命題」では、コインが「裏・表・立位」以外にも取り得る状態は、「可能性は小さい」とは言え、消失・表裏一体・溶融・破壊・崩壊・・・など、人間には予測の出来ない場合も有り得ます。ここで、「可能性は小さい」と書いたように、「可能性には大小が有る」との表現が間違いではない事を示しています。
また、ここで「可能性は小さい」は間違いなので「確率が小さい」と書くと、小さいながらも「確率は有る、或いは0ではない」事を意味し、若しこのコインが3ケ以外の状態をとることが無い場合は、「確率は0である」となり、「確率は小さい」と書く事は間違いになります。
つまり、現実世界に有るかどうかすら分からない事案や状態を「論理計算」に取り込む場合には、「可能性」を「0か1か」に固定することは出来ません。「可能性の大小」によってPの最小値(0以上)と最大値(1以下)を決めなければ、理論確率を現実世界で援用する事には危険性を伴います。例えば、ロケットの発射試験で、各パーツの成功確率を掛け合わせても、未知の条件「例えば、部品の相互作用とか、合成の誤謬など」があり、ロケット全体としての成功確率は計算できません。但し、現在の所「可能性を数値化」する科学が未発達なので、予想外の失敗を防ぐ事は出来ません。
「コイントスが一回目と二回目では、どちらが表の出る確率が高いか?」では、何回しても確率は同じと言えます。
「コイントスが一回の場合と二回の場合とでは、どちらが表の出る可能性が大きいか?」では、各回の「確率」は同じで常に「可能性も有る(1)」のですが、回数を重ねる事でいつかは確実に表が出ると思われ、「二回の方が、可能性が大きい。」と言えます。
ここでも「可能性には大きさが有る。」と言えます。
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