オメガねこ

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「原発事故」 と 「自動車事故」

2019年12月21日 | ニュース
 「福一原発」のメルトダウン事故は、冷却装置を稼働出来れば防げたのですが、杜撰な「多重防御システム」と、嘘の「固有安全性」の為に、防ぐことは出来ませんでした。

  「福一原発」の欠陥は幾つもあったのですが、逆にその「欠陥」のお陰で水蒸気爆発を防いだ件も有るとされています。2号機の「格納容器の脆弱性」によって、停電で動かなかったベント装置の代わりに、脆弱部分から水蒸気が漏れて水蒸気爆発を防いだ事や、点検中の4号機の核燃料貯蔵プールに、本来は自動的には給水されない上部の貯水曹から、何かの拍子で給水が自然に為された事です。これらの「欠陥」を設計段階から取り入れていたら「フェイルセーフ」として自慢できたかもしれません。

 「原発」も「自動車」と同様に、通常の故障時には「フェイルセーフ」は作動しますが、そこに予想外の事態やヒューマンエラーも加わると何が起こるか判りません。「自動車」の場合は「既知のヒューマンエラー」によって死者が出ている事を知っているにも関わらず、その対策が無いまま販売は継続されています。つまり、「自動車」の運転時のヒューマンエラーは自己責任なので「例え他人に危害が及んでもそれは当事者間の問題であり、製造会社や販売会社の責任ではない。」と云う考え方だと思います。

 一方、「原発」の場合は、原子力に関する事故での直接の死者はまだ無いのですが、しかも既定の法律にも違反していないにも関わらず、強制的に停止させられてその間に規制が強化されました。更に、新しい規制に合格しても「再稼働」は容易ではありません。「原発」と同じくらい「自動車」の規制が厳しければ、事故による毎年数千人の死者はかなり減るとは思いますし、更に、新安全基準を満たすまで運転そのものを禁止すれば、事故死0名も夢ではありません。

 これらの矛盾は、「原発」の安全性の嘘と、「自動車」の危険性の無視にあります。

 「自動車」の場合は、誰でも利用する可能性が有り、安全基準を高くすると価格も高くなりますが、普通は安全性の低い「安い自動車」の方が良く売れています。これは、ヒトは然ほど安全性には興味がなく、年間数千人の死者は許容範囲として、その危険性を無視できるからです。

 「原発」の場合は、電気は誰でも使いますが「原発」を運用するのは自分以外のヒトなので、特に高い安全性を要求します。「自分には優しく、他人には厳しく」と云った所でしょう。そこで、地元に支払う協力金が安くなるように、原発の安全性を実際より高く見せかけるウソを発表する運用者側と、無責任な誘致側とのコラボが「科学」を超越した「固有安全性」と「多重防御」の欺瞞を産み、政治的に「安全性」が定義されました。それは「絶対に安全だから避難訓練は必要ない。」と云う結論です。

 現在では「原発」に関するこれらのウソがバレた為に、避難訓練だけはしていますが、嘘を言った政治家や科学者が責任を取ったと云う話は知りません。(何故か、責任取って栄転したと云う話は聞きます。)東電が責任を取っているかのようにも見えますが、その原資は電力料金と税金です。

 「自動車」の自動ブレーキ(衝突被害軽減ブレーキ)の義務化が2021年から始まるそうですが、「原発」の規制を考えると、「自動ブレーキ」を装着していない「自動車」の運行停止を要求する市民デモが有っても不思議は無いのですが、見た事がありません。

 やはり、市民デモは「カネメ」なのかも知れません。



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