日本では、人が死んで「他力本願」で救われた時は「仏様」になり、「自力本願」が他人から認められた場合は「神様」になります。
功を成した人を「神様」と褒め称え、悪人でも死んだら「仏様」になるので悪口を言ってはいけないとするのが、本来の日本人です。
「天皇が天照大御神の直系の子孫」であるのは当たり前の事で、「善行を成した人は誰でも神様」だからです。その日本語の「神」を、一神教の「God」の対訳にしたのがそもそもの間違いで、日本人には「God」の概念自体がありませんでした。「God」は萬物の創造主ですが、「神」は萬物の精霊で「God」も八百万の神の一人に過ぎません。
石ころ一つにしても、そこには神が内在していて、例えば石に躓いたお陰で命拾いをした場合は、その石に「神」を見出し神棚に祀ります。日本各地に、知らない人には無意味にも思える「石」が大事に保存されていたりします。
「他力本願」とは、他人の力を借りて自分の願いをかなえる事ではなく、他(阿弥陀仏)の本願(自己の祈り)の力によって、如何なる人でも救われる運命にある事を意味しています。原典では、「本願」とは「天国に生れることを自ら希願する」意味だったそうですが、阿弥陀仏は既に天国に生まれているので、凡夫を救う事を「本願」にしたと思われ、更に進化して「悪人ほど救われる」となったようです。
ここで言う「自力本願」とは、自分の力で願いを叶える事ではなく、自(おの)ずから叶えられる力が備わっている事を意味します。つまり日本では、本来は何でも誰でも「神」に成れるのですが、生前の悪人は多くの人から認められることが無いので、無視されているだけです。勿論、悪人でも悪党界では「神」と呼ばれます。
これが日本に於ける「神」の意味なので、「God」のみを信仰する人民の「神」とは、天国と地獄ほどの差があります。何方が「天国」で、何方が「地獄」であるかは、ここでは書けませんが、ヒントは「過去における、無辜の民に対する虐殺数」です。
英雄として死んだ人の墓を暴いたり、虐殺の首謀者を讃えたりする「神も仏もいない世界」も地球上にありますが、国名はここでは書けません。ヒントは、ライン上にあります。

功を成した人を「神様」と褒め称え、悪人でも死んだら「仏様」になるので悪口を言ってはいけないとするのが、本来の日本人です。
「天皇が天照大御神の直系の子孫」であるのは当たり前の事で、「善行を成した人は誰でも神様」だからです。その日本語の「神」を、一神教の「God」の対訳にしたのがそもそもの間違いで、日本人には「God」の概念自体がありませんでした。「God」は萬物の創造主ですが、「神」は萬物の精霊で「God」も八百万の神の一人に過ぎません。
石ころ一つにしても、そこには神が内在していて、例えば石に躓いたお陰で命拾いをした場合は、その石に「神」を見出し神棚に祀ります。日本各地に、知らない人には無意味にも思える「石」が大事に保存されていたりします。
「他力本願」とは、他人の力を借りて自分の願いをかなえる事ではなく、他(阿弥陀仏)の本願(自己の祈り)の力によって、如何なる人でも救われる運命にある事を意味しています。原典では、「本願」とは「天国に生れることを自ら希願する」意味だったそうですが、阿弥陀仏は既に天国に生まれているので、凡夫を救う事を「本願」にしたと思われ、更に進化して「悪人ほど救われる」となったようです。
ここで言う「自力本願」とは、自分の力で願いを叶える事ではなく、自(おの)ずから叶えられる力が備わっている事を意味します。つまり日本では、本来は何でも誰でも「神」に成れるのですが、生前の悪人は多くの人から認められることが無いので、無視されているだけです。勿論、悪人でも悪党界では「神」と呼ばれます。
これが日本に於ける「神」の意味なので、「God」のみを信仰する人民の「神」とは、天国と地獄ほどの差があります。何方が「天国」で、何方が「地獄」であるかは、ここでは書けませんが、ヒントは「過去における、無辜の民に対する虐殺数」です。
英雄として死んだ人の墓を暴いたり、虐殺の首謀者を讃えたりする「神も仏もいない世界」も地球上にありますが、国名はここでは書けません。ヒントは、ライン上にあります。

神も仏もいない世界…
残念ですが、本当にいなくなっちゃいましたね…(>_<)
というよりも、ソッポを向かれてしまったのかも?
ですね(;´・ω・) ちゃんと、反省しないと…(笑)
阿弥陀仏の本願は、どんな悪人でも救ってくれると聞いたのですが、やはり「選り好み」をするのかも知れませんネww
はい。歎異抄には、心迷わないことによって、他力の本願が叶うとされています。
まさに、四十にして心惑わす…(^^♪
ですな(*'▽')