少し前に「縄文人の優しさ」故に周辺民族を受け入れ、その民族の特徴によって現在の「日本民族」が形成されたとする推論を書きました。それは、先ずは本州・九州地方の縄文人が「大陸・半島縄文人」を受け入れた事によって「弥生人」が誕生し、次に、その弥生人が沖縄方面の縄文人と融合し「ウチナンチュウ」が生まれ、北海道は少し遅れ弥生文化が行き渡る前に「シベリアの各民族」が入り込み「アイヌ」と言われる複数の部族が誕生したと云う事です。
今回は「男系遺伝子ハプログループD系(Y-DNA-D)」について書きます。
縄文人に特徴的なY染色体グループ(D1a2a)の「Dアダム(Y-DNA-D系の始まり)」は東アフリカで生まれたとされ、移動しながらD1系に変異し中央アジアに到達し、そこからD1*(D1以降の変異を全て含むグループ名)が分岐したと考えられています。
7万年前ころはカスピ海周辺からシベリア・支那大陸・東南アジアに、特徴的に広く分布していたとされ、現在では「D1a*」として4万年ほど前に分岐した、「日本列島(D1a2a)」と「チベット(D1a1*)」と「アンダマン海周辺(D1a2b・D1a3)」で特徴的には残っているそうです。また、縄文人の特徴とされる「D1a2a*」は、現在では「北海道アイヌ:80%」「和人:30%」「沖縄・奄美:50%」に観察されると言われています。
「男系ハプログループ」とは、男性に特徴的に遺伝するY染色体の遺伝子構造の違いによる分類法で、「Y染色体アダム(Y-MRCA)」を起源とされています。一方「女系ハプログループ」は母親からしか継承されない「ミトコンドリアのDNA(mtDNA)」の遺伝子構造によって分類する方法で、その起源を「ミトコンドリア・イブ(mtDNA-Eve)」と言い、何れも起源は現在ではアフリカとされています。
但し、これは現在の所「アフリカ起源説」が通用しているだけであり、「イブとアダム」の遺伝子も先代からの継承に過ぎない場合は更にさかのぼる必要があります。ここで「イブ」を先に書いたのは「ミトコンドリア」が共生先の宿主細胞に憑りつかなければ生物の進化は考えられないからですが、その説明はここではしません。
それは兎も角、縄文人(男)に特徴的な「D1a2a*」がアイヌ民族の80%に残されていると云う事の意味は、北海道に進入してきた民族の内、侵入男系の大半は排除されたか消滅した事を意味し、若しも自然環境の影響ならば自然淘汰と言え、人為的ならば大規模な「戦争(紛争)」が有ったと考えられます。勿論、どちら側から仕掛けたのかは判りませんが、少なくとも外来女性の多くは殺されなかった事だけは確かなようです。外来女性が縄文系男子との間に男子を生めば「縄文男系遺伝子(Y染色体)」は継承され、大陸系の形質も保存できます。
北海道は昔から「人口侵略」の脅威に曝されていたようですが、「縄文人」は優しさと共に強さも兼ね備えていたようです。「アイヌ」の人達に縄文遺伝子が80%保存されていることは、北海道の先住民族は「強い縄文人」である事の証です。ところが、これを逆転し「縄文人のアイヌ起源説」を主張して「日本列島は先住民族であるアイヌ民族の土地だ」と言い出す人もいます。
「遺伝の法則」により、劣性遺伝と優性遺伝の関係で、他民族を受け入れた方が人口は増えやすく、排他的な民族は人口減少を起こしやすくなります。「アイヌ」は元々人口が少ないうえに部族長による一夫多妻制が有った為に、父親と同じ遺伝子を持った子供が多くいて、近親交配が起こる確率が高くなって劣性遺伝を受け継ぎ、人口が増え難くい社会構造になります。
一方、本州側の縄文人は、混血の進んだ「大陸・半島系縄文人」を、仲間である事も手伝って男女区別なく受け入れ、小競り合いは有ったとしても根絶しなかった為に「外来男系遺伝子」の種類が増えて、現在は「縄文遺伝子グループ」が30%にまで低下していったと考えられます。そのお陰で、日本は世界有数の多人口国家になりました。
「大陸・半島」に親和的な「日本人」が多いのも、遺伝子的に言って止むを得ないのかも知れません。
私の家系は「北海道の土人」になってから少なくとも6代続いていますが、「外来系本州民族」により「アイヌ先住民説」が謀られ、不穏な空気に包まれています。しかし、北海道には千三百年前に阿倍比羅夫によって政所が置かれ郡領を任命して帰った史実があり、アイヌの存在が明らかになったのは精々八百年前です。
「アイヌ民族は先住民族」と言うのは「カムイユカラ」です。日本の先住民族は「縄文人」で、現在は「日本人」が住んでいます。それぞれの地方の文化を大切に伝承すれば済む話です。
今回は「男系遺伝子ハプログループD系(Y-DNA-D)」について書きます。
縄文人に特徴的なY染色体グループ(D1a2a)の「Dアダム(Y-DNA-D系の始まり)」は東アフリカで生まれたとされ、移動しながらD1系に変異し中央アジアに到達し、そこからD1*(D1以降の変異を全て含むグループ名)が分岐したと考えられています。
7万年前ころはカスピ海周辺からシベリア・支那大陸・東南アジアに、特徴的に広く分布していたとされ、現在では「D1a*」として4万年ほど前に分岐した、「日本列島(D1a2a)」と「チベット(D1a1*)」と「アンダマン海周辺(D1a2b・D1a3)」で特徴的には残っているそうです。また、縄文人の特徴とされる「D1a2a*」は、現在では「北海道アイヌ:80%」「和人:30%」「沖縄・奄美:50%」に観察されると言われています。
「男系ハプログループ」とは、男性に特徴的に遺伝するY染色体の遺伝子構造の違いによる分類法で、「Y染色体アダム(Y-MRCA)」を起源とされています。一方「女系ハプログループ」は母親からしか継承されない「ミトコンドリアのDNA(mtDNA)」の遺伝子構造によって分類する方法で、その起源を「ミトコンドリア・イブ(mtDNA-Eve)」と言い、何れも起源は現在ではアフリカとされています。
但し、これは現在の所「アフリカ起源説」が通用しているだけであり、「イブとアダム」の遺伝子も先代からの継承に過ぎない場合は更にさかのぼる必要があります。ここで「イブ」を先に書いたのは「ミトコンドリア」が共生先の宿主細胞に憑りつかなければ生物の進化は考えられないからですが、その説明はここではしません。
それは兎も角、縄文人(男)に特徴的な「D1a2a*」がアイヌ民族の80%に残されていると云う事の意味は、北海道に進入してきた民族の内、侵入男系の大半は排除されたか消滅した事を意味し、若しも自然環境の影響ならば自然淘汰と言え、人為的ならば大規模な「戦争(紛争)」が有ったと考えられます。勿論、どちら側から仕掛けたのかは判りませんが、少なくとも外来女性の多くは殺されなかった事だけは確かなようです。外来女性が縄文系男子との間に男子を生めば「縄文男系遺伝子(Y染色体)」は継承され、大陸系の形質も保存できます。
北海道は昔から「人口侵略」の脅威に曝されていたようですが、「縄文人」は優しさと共に強さも兼ね備えていたようです。「アイヌ」の人達に縄文遺伝子が80%保存されていることは、北海道の先住民族は「強い縄文人」である事の証です。ところが、これを逆転し「縄文人のアイヌ起源説」を主張して「日本列島は先住民族であるアイヌ民族の土地だ」と言い出す人もいます。
「遺伝の法則」により、劣性遺伝と優性遺伝の関係で、他民族を受け入れた方が人口は増えやすく、排他的な民族は人口減少を起こしやすくなります。「アイヌ」は元々人口が少ないうえに部族長による一夫多妻制が有った為に、父親と同じ遺伝子を持った子供が多くいて、近親交配が起こる確率が高くなって劣性遺伝を受け継ぎ、人口が増え難くい社会構造になります。
一方、本州側の縄文人は、混血の進んだ「大陸・半島系縄文人」を、仲間である事も手伝って男女区別なく受け入れ、小競り合いは有ったとしても根絶しなかった為に「外来男系遺伝子」の種類が増えて、現在は「縄文遺伝子グループ」が30%にまで低下していったと考えられます。そのお陰で、日本は世界有数の多人口国家になりました。
「大陸・半島」に親和的な「日本人」が多いのも、遺伝子的に言って止むを得ないのかも知れません。
私の家系は「北海道の土人」になってから少なくとも6代続いていますが、「外来系本州民族」により「アイヌ先住民説」が謀られ、不穏な空気に包まれています。しかし、北海道には千三百年前に阿倍比羅夫によって政所が置かれ郡領を任命して帰った史実があり、アイヌの存在が明らかになったのは精々八百年前です。
「アイヌ民族は先住民族」と言うのは「カムイユカラ」です。日本の先住民族は「縄文人」で、現在は「日本人」が住んでいます。それぞれの地方の文化を大切に伝承すれば済む話です。
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