本来の意味の「土人」とは、千年以上前の律令制度で「京以外の本貫地に居住している人。」のことで、明治以降では北海道開拓以前から住んでいたアイヌ等を「旧土人」、開拓者を「新土人」と言ってました。現在では否定的とされる語彙である「土人」も、過去には単に「属性」を表していただけです。
これとは反対方向の意味の変化も有ります。「民」は「漢字の音符+民」で調べると「目を針で刺 している形の象形。目を針で突いてその視力を失わせた奴隷を表す。のち、物のわからない多くの人々、支配下におかれる人々の意となった。現在は『民主主義』という価値観を支える重要な字に変貌している。」とあります。
「旧土人保護法」については、江戸時代は各藩の独立性が強く、蝦夷地を管轄していた松前藩が自尊心の強いアイヌに対して「特別の保護」を与えなかったこともあり、アイヌの人々は困窮していました。明治になってからその窮状を救う為に、アイヌの代表と共に「アイヌの保護法案」の成立を目指し、1892年に帝国議会へ「北海道土人保護法案」が提出され、、1898年に「北海道旧土人保護法」が制定されました。
当時の「旧土人」とは、今で言う「元土着民」を意味していましたが、戦後になって「旧土人」という名称への抵抗を感じる人もいて、1970年頃には旭川市が中心になって廃止運動も起こりましたが、道ウタリ協会の総会で「代わるべき(アイヌを保護する)法が無いのに、今すぐ廃止してしまえと言うのは無定見。」と満場一致で廃止運動へ反対する決議が採択されました。
「旧土人保護法」によって、新土人(北海道以外から開拓入植した日本人)よりも有利な条件でアイヌ(北海道に土着していて土地所有の概念を持っていなかった日本人)に土地や設備が供与されました。しかし、農地の耕作が不得手だったアイヌは、貰い受けた土地の転売が横行し、元の窮状に戻っていまうことが目立つようになりました。この転売を禁止する事も含んだ「アイヌ文化振興法」が1997年にが施行され「旧土人保護法」は廃止されました。
アイヌ文化を題材にしたNHKのドラマでは、刺青が無い等「アイヌ文化を否定」したような映像を流しましたが、アイヌ協会からのクレームは有りませんでした。
「アイヌ新法第六条」では、「国民は、アイヌの人々が民族としての誇りを持って生活することができ、及びその誇りが尊重される社会の実現に寄与するよう努めるものとする。」と、書かれています。つまり「現在は『アイヌが尊重される社会』が実現されていないので努力が必要。」と云う事になります。しかし、何が「アイヌの誇り」なのかが書かれていないので(旧)和人には判りません。更に困ったことに「アイヌの定義」すら決まっていません。
「民族共生象徴空間構成施設(ウポポイ)」の建設に「アイヌの人々」がどれだけ参加しているのか、また、これが「アイヌの誇り」になるのかどうかも判りませんが、日本全国に同様の施策が拡がろうとしています。
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