オメガねこ

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「美」 と 「醜」

2019年09月02日 | 雑感

 自然の遠景を観ると人は「美」を感じ、「朝靄のかかる富士」などは美術絵画の対象になります。

 これは、「朝靄」の原因が解らない場合(人)には問題ありませんが、この原因が公害や近隣諸国のPM2.5にある事が解明された場合には、「スモッグのかかる富士」になり、全く同じ風景でも「美術作品」「広報作品」「プロパガンダ作品」と分類されます。

 「戦争絵画」も同様で、同じ作品でも「戦前・戦中・戦後」の評価の変遷や、「勝者・敗者」による結果論としての評価の違い、例え敗者側でも「反戦思想」の画家に対しては「美術作品」として扱われたり、「美醜」の評価はまちまちです。ピカソの「ゲルニカ」もその判断が分かれます。

 上記は「美術とは芸術のうち視覚を利用したもので、絵画の全てが美術に属するとは言えない。」を具体例で説明したつもりですが、「美」に関してこれ以外にも更に「機微に触れる見方」があります。

 人体の「美醜」には、平均的な「美しさ」は有りますが、より「美しく」なる為に自分の顔に絵を描きます。一般に、これを「化粧」と言いますが、実質的には「立体絵画」「偽装装飾」と言えます。「化粧」をする人が「醜さ」を否定しているかどうかは分かりませんが、少なくとも「美しい事は良い事」と信じている事は間違いありません。

 美人コンテストは、少し前に「否定的な主張」をする人が増えたようですが、最近は収まったように見えます。この主張は「女性の美醜の問題でなく、女性を商売に使う事に対する批判」のようでしたが、女性の本能としての生態は、普段から化粧やドレスアップしている事から見ても「愚かな男性を自分の美しさで騙す」事と云え、寧ろ「男性をバカにしている」事になります。但し、正常な男性は「自分がバカである事を自認」しているので問題視しないだけです。

 若し、男性の女装や女性の男装、或いは「化粧」等に「政略的な意図」が無ければ、これらは「美術作品」と言え、他人の批評に耐えられなければ単なる「工作物」になります。

 芸術に関しては「最後の権威は自己にあり」だそうですが、トリエンナーレ国際美術展の「表現の不自由展・その後」の「展示汚物」は展示責任者が中止したところを見ると、「醜術作品」だったようです。



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