オメガねこ

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「二酸化炭素」 と 「トリチウム」

2019年10月07日 | 科学

 科学的に安全かどうかが分からない場合は、社会的に容認されるか如何かで「基準値」が決まるとされるのが、民主主義国家での「安全基準」です。交通事故で年間数千人の死者を出すことが「科学的な分析」かどうかは判りませんが「経験則で有り、社会的に容認されている。」とされています。

 危険を察知してブレーキを踏んでから停止するまでの制動距離が現在よりも短くなれば、事故はかなり減ると推測される事から、自動車の安全技術は未完成だと言え、未完成な自動車を「国民が容認している」と判断できます。

 「二酸化炭素」が「危険な温暖化ガス」か「有用な食料ガス」かは意見が分かれますが、今のところ「危険な温暖化ガス説」が90%以上の支持を得ていると思います。

 地球が誕生した頃には大気中に「二酸化炭素」が95%以上あり、これと太陽との相互作用で生物が誕生し、その動植物の死骸と共に「二酸化炭素」は地中に潜り、現在の大気中には0.04%しか存在しないそうです。このまま自然に任せると、過去に恐竜が絶滅(鳥類はまだ生存中)したように、今度は「二酸化炭素不足」で植物が絶滅するかも知れません。

 当然、植物が絶滅すると「菜食主義者」や「ビーガン」も絶滅します。「ビーガン」の内には動物由来の全てのモノを嫌う人もいますが、知ってか知らずか「絹やウールなど」を嫌うだけで、動物の死骸からできた石油を原料にした「化学繊維」は身に纏います。

 世の中には「二酸化炭素恐怖症」の人がいるようで、植物の絶滅と共に天国に召されるのも本望だとは思いますが、他人を道連れにする事だけはして欲しくは有りません。

 「二酸化炭素」に於ける混乱は、生物に対する効果・害毒などが定量的に解っていない事で起きます。同様に「トリチウム」の科学的機能も解明されていません。「トリチウム」が地球上に完全に存在しなかった場合や、水素の全てが「トリチウム」だった場合は、「人類」は誕生していなかったと結論付けても、間違いではないと思います。

 「二酸化炭素」も「トリチウム」も共に、国際法で排出制限されていますが、何故かこれを極端に嫌って、その規制強化を主張する人もいます。一方、確実にヒトを殺す事が分かっている「未完成な自動車」の製造中止を主張する人は、あまり見ません。

 「トリチウム」は遺伝子欠損を起こし、これが再生する過程での突然変異により多種多様な生物が誕生し、その時の環境に最も合った生物が生き残って現在に至っています。「人類」が至高の最終生物であるとは、自然や神を含み、誰も保障をしていませんし、「自然保護(自然から見ると破壊)」や「自然の持続的利用」などを取り組んでも、何が正しいのか結論付けることは出来ません。「自然放置」が自然から見ると自然です。

 当然、地球が誕生した頃にも「トリチウム」は大量に存在していて、現在でも宇宙線と大気の核反応により毎年7京Bq生成され、β崩壊によりヘリウム3に変化します。これらの環境の中で人類が生まれたので、「二酸化炭素」の影響と同様に、その多少がどの様に影響するかは判りません。放射線の影響が現在には表れなくても、将来の世代に悪影響を及ぼすかもしれないと言うのなら、「二酸化炭素」の増加や減少が将来世代にどのような影響を及ぼすかも判りません。

 「海を汚さないのは、海洋国家としての日本人の誇りの問題だ。」と言うのなら、「大気を汚さないのは、地球の一国家としての日本人の誇りの問題だ。」とも言えます。但し、「現状維持」や「減らす事」或いは「増やす事」が、生物や地球を守ることに繋がるかどうかは、判りません。



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