オメガねこ

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「桃太郎」 と 「記紀」

2024年03月04日 | 雑感
 「桃太郎」に出てくる「鬼」が実在の生物であると信じる人はいないと思いますが、「古事記・日本書紀」に出てくる「神(西洋で言う神ではない)」は実在の人物の「諡(おくりな)」或いは「戒名」に相当すると考えれば、「鬼」は、生前は人であったか、或いは生きている「人でなし」に与えられる「悪諡」の一つと言えるかもしれません。

 「悪諡」とは言っても、あくまでも「諡」なので、皇帝などの貴人が対象の「贈り名」を意味しますが、現在は「民主主義」なので一応「国民が一番貴い」とされていることから、平民にも「美諡」「中諡」「悪謚」の「私謚」を贈ることは可能だと思います。

 桃から生まれた桃太郎」や日本神話を含む記紀」は、何れもそのイメージは江戸時代に固定化され、「原作」の趣旨が現在に残されているかどうかは判りません。例えば、「鬼」は人でなしの比喩であったり、「神」は貴い死者を意味していたかも知れません。

 つまり、「神話」とは史書として残されていない死者に対する伝承で、「歴史」はその真偽は兎も角、存在する史書を編纂した「ものがたり」と云うことです。

 私は、日本で最初の神とされる「天之御中主神」は、宇宙が創造されたときに現れた「天を領する神」と思っていましたが、最近では「
刮目天のブログだ!」を繰り返し見ているうちに、日本海で活躍していた「縄文海人(あま)ムナカタ族:海神族(わたつみぞく)」の長(創始者)の諡号ではないかと思うようになりました。

 「天」「雨」「海人」は何れも「あま」と読めるので、どの漢字を当てるかは作者の自由です。しかし、日本では自由に「天」の字を使えても、当時の中国(魏)では、「天」は天使の国(中国)の上にしかないので、日本が使う「天」を「一大」と(上下に)分離したり、更に「支」と書き換えた可能性も指摘されています。

 つまり、日本での「天津國(海人の国)」は、中国では「一大國」や「一支國」と表記されたので、これらは同じ地域を指し「天之御中主神」の領地だったと云うことになります。

 「天皇は韓国由来」と言う人もいますが、現在で言う「日本海周辺(大陸・半島・列島)」は、縄文人の故郷なので、当時この地域で生まれた人は地政学(地勢学?)上の「日本人」と言えます。「当時の日本人」が、自らの意思で列島に移動したのか、大陸民族に追いやられたのかは判りませんが、「天皇は縄文人由来」であることは確かなようです。

 一時期、韓国では「桃太郎の鬼退治は、韓国に対する侵略を意味する」として、話題になった事が有ったようですが、若しかすると「縄文人を虐殺した鬼である」事を自認しているのかも知れませんww

 「ものがたり」は時代とともにその解釈が変更されるのも止むを得ないのですが、「神話」と「歴史」を分離して解釈した方が、混乱を避けることが出来ると思います。

神話;時の主権者が、後世にとって「よかれ」と思う物語。
歴史;真実(事実とは限らない)の史書を編纂した物語。

天壌無窮の神勅;
豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、是れ吾が子孫の王たる可き地なり。
宜しく爾皇孫、就きて治せ。
行矣。
宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無かるべし。

 現在ですら、実際に起こった「事実」でも、裁判では異なる判決が下り最終審の決定が「真実」とされます。重大事件では、それが「史実」として保存されるのですが、事実かどうかはさておいて、「史実は結果良し」でなければ価値は無いような気もします。

 「自虐史観」を信じ(た振りをし)て反省する人もいるようですが、「反省だけならサルでもできる」と言うように、殆ど意味は有りません。大概は、「自虐史観」が飯のタネになっていて、「鬼(自らの邪気)退治」の対象事案と言えますww




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