ゆめのつづき

リアル世界では秘密にしていることなど、
生きづらさを吐露する場所にさせて頂けたらと思います。

24~27歳

2023-08-22 22:00:00 | JWとの関わり

こんばんは

元JW2世

40代独身♀

南由斗です。

 

今回は、実家の会衆に出戻った24歳からのことを書こうと思います。

 

結論から言うと、

実家の会衆で審理委員会にかけられ、特権を失い、

不活発になりJWから自然消滅する、

排斥だけはどうにか避ける、というシナリオは、

ほぼほぼその通りになりました。

 

実家の会衆に戻ってからしばらくして、

伝道で長老兄弟と組むことがあり、

その機会にI会衆での不道徳について長老兄弟に打ち明けました。

 

すぐに審理委員会がひらかれ、

隣の会衆の長老兄弟も巻き込みながら、

二人の長老兄弟の前で少なくとも2回、

事の詳細を話したと思います。

排斥にならないためにも、

悔い改めの意思を示すのに、

審理委員会中に、涙を流すという演技まで。。。

 

すべての特権を失って、

割り当てや注解や伝道をしなくて良くなったら、

もうラクすぎて、

やらなくて良い正当な理由付けがありがたかったです。

 

不道徳と言っても、セックスはしていないのもあるのかな、

まだこの時は一応バージンだったというものあるのかもしれません。

悔い改めの意向を示していたのもあってか、

困ったことに、特権がすぐに戻ってしまい笑、

奉仕の僕の兄弟が、自身のプログラムでこの部分の注解をしてほしいと言ってくるようになり、

「あーこれ不道徳系の注解は、私にはまだきついですよー苦笑」

と自虐ネタでどうにか断ったりしていました笑

普通、不道徳しましたと自分で公にする人もいないでしょうけど、

そう言えば、断りやすかったです。

 

実家に出戻ってからの仕事ですが、

バイト経験しかないので、やはり似たようなアルバイトを探しますが、

出来そうな職種がなかなか見つかりませんでした。

そこで、

派遣会社に登録して、工場で派遣社員として勤務することにしました。

今までは、頑張って稼いだ月でも7万くらいの収入だったので、

フルタイムで働いて社会保険にも入れて15万円以上のお給料を頂けた時には、

今まで嫌悪していたはずのこの世、この社会の一員になれたような気がして、

少し自信につながりました。

 

入社してすぐモテモテフィーバーが始まります。

その時には、髪型に異常にこだわっていて、

金髪にしたり、ピンクにしたり、当時珍しかったエクステをつけたり、

とにかく目立っていました。

飲み会も頻繁で、部署異動もあったので、

いろんな男性からアタックされた記憶があります。

 

I会衆でお付き合いしていたT兄弟からは、

「由斗が実家に帰れば、付き合いやすくなる」

と言われ、

実家に帰ってからもしばらくは順調にお付き合いしていたのですが、

私が子供過ぎて、

愛情をたくさんもらっていたのに、

それでも足りない、足りない、足りないという感じで、

T兄弟をたくさん困らせてしまっていました。

本当に好きだったのに、電話一本で関係を壊してしまいました。

 

自分で壊しておいて、その後何年も引きずりました。

 

T兄弟の穴埋めかのように、いろんな男性とデートするのですが、

どうしても相手を好きになれず、相手からの愛情が苦しくなり、

ほとんどお付き合いまではいきませんでした。

 

実家に戻ってすぐに、両親と暮らすのがきつくなります。

また実家を出たいと思うようになり、

他の派遣とダブルワークするようになりました。

お金をためて、1年後の25歳の時に、

実家の隣町のアパートに引っ越しました。

 

すぐにその区域の姉妹が訪問してきたり電話してきたりしました。

この時は、まだ不活発キャラでいこうと思っていて、

集会には参加するけど注解はしない、伝道もたまにしかしない、

交わりも積極的にはしない、

というスタンスで行こうと思っていました。

 

集会当日になって、その姉妹に連絡がつかず、

集会の時間もせまって、どうしようと焦っていたのですが、

その時間が過ぎたところで、

「あれ?行かなくて良くない?

むしろ今日だけじゃなくて、これからも行かなくて良くない?」

と思ったら、

何だかすっきりしてしまって、

ここでめでたく自然消滅となりました!

以来、一度もJWに関わっていません。

 

今まで、膨大な時間をJWの奉仕に費やしていたのがうそのようで、

本当に自由な時間が増えました。

 

引っ越しは

JWやめる一つの手段としておススメです!

 

ところで、工場で働くようになってから

つるむようになった5つ年下のギャルの子がいるのですが、

その子はとてもぶっとんでいて、男友達が多く、

その子と遊ぶといつも異性トラブルに巻き込まれていたように思います。

 

その子に、「姉さん、何歳よ?」とバージンを馬鹿にされたのがきっかけで、

当時はやりのチャットで知り合った大学生の男の子にバージンを捧げてしまいました笑

その大学生の男の子とは、しばらくセフレを続けましたが、

いつしか連絡をとらなくなりました。

 

 

これでやっと一人前になった、

これでもう馬鹿にされない、

私も一般人と同じ、

そう思いました。

初のセックスはただただ痛かったですが。

爪の間に鉛筆の芯を刺すみたいな感じでした。

でも、これが愛の証なのだと、

この時も、その後20年も、我慢してセックスをしていました。

 

心の中では、

したくない、苦しいと叫んでいたのですが、

一人前でなくなる、馬鹿にされる、一般人と違う

のが嫌でした。

 

26歳の頃からお付き合いした方は、既婚者でした。

私は世の常識が分かってなかったので、

それが悪いこととかよく分かっていませんでした。

奥さんがキャバ嬢だったり奥さんにも不倫相手がいたり、

しかも不倫相手様とかち合ってしまったり、

お互い同じことをしているからと罪悪感はまったく感じませんでした。

 

かと言って、その既婚者のことをやはり好きにはなれず、

ただ外見がカッコよかったので付き合っていただけで、

毎日のように体を求められるのはすごく辛かったです。

ずっとダブルワークも続けていて、毎日寝不足だったし、

毎日のセックスはきついから減らしてほしいとお願いしたら、

「俺にとってセックスは大事なことだ」と言われてしまいました。

そこでセックスが大事なことなのだと、

それが苦痛だと思う自分がおかしいんだと悩むようになりました。

でも苦痛だから、私にとっては毎日がレイプです。

だから、本当にレイプされたことがあるのですが、

特に既婚彼氏とのセックスでの感情と大差なかったです。

 

27歳で、少し転機が訪れます。

人気の医療事務の資格をとった私は、工場を退職してT病院に入職しました。

27歳にして初の正職員です。

 

次回は、27歳~

転職後の数年間を書こうと思います。


I県I会衆での3年間

2023-08-01 22:54:00 | JWとの関わり

こんにちは

元JW2世

40代独身♀

南由斗です。

 

今日は、

必要の大きな会衆へ出てパートナー生活をすることになった21歳~の3年間を書こうと思います。

実際は、ただただ家を出たかっただけなんですが…

そんな程度だったので、なかなかひどい3年間でした。

 

実家の会衆は、電話伝道や街路伝道などを織り込みながらも、

大体1か月で全区域を網羅してしまう状態でした。

なので、家の方の反応は結構冷たかったです。

それに比べて、I会衆の網羅率は大体3か月くらいだったし、

農家が多く、家の方も話し相手が欲しい年配の方が多かったので、

伝道活動はとてもやりやすかったです。(=時間を稼ぎやすかった笑)

 

I会衆に移動してすぐに芋煮会があり、誘われたのでホイホイ行きました。

そこで19歳のT兄弟とすぐに意気投合します。

T兄弟とはすぐに両想いになり、お付き合いが始まりました。

21歳にして初カレです♡

T兄弟は、両親ともJWいわゆる神権家族2世の兄弟でした。

初対面から内側にすごく闇を感じて、

表向きに見せている饒舌で明るい感じとのギャップに惹かれてしまいました。

(闇の原因は、小さい頃にお父さん兄弟から受けた虐待でした)

 

それからは、いじめと虐待で地獄だった学生時代の

9年間と打って変わったような逆転人生が始まりました。

モテモテフィーバーは、その後10年間くらい続きました笑

今思えば、私だけに向けられた愛情を感じることに中毒になっていたのだと思います。

出会う男性すべてから、愛情とまでいかなくとも好かれたかったんです。

それが自分の価値をはかるものさしでした。

 

そんなわけで、変な自信をつけた私は、

ダサかった外見もあか抜けていきます。

ファッションにも気を使うようになり、

髪もカラーリングでどんどん明るくしていきました。

 

外見を飾ってイケてるとかチャラいふうに見せても、

内面はそうそう変わるはずもなく、

世の中を何も知らないただの天然田舎娘なので、

いろいろとトラブルにも巻き込まれました。

 

ストーカー被害には命の危険を感じるほどで……

 

バイト先でもなぜかモテてしまったり、

地域大会で他の会衆の兄弟からアタックされて、なかなか帰してもらえなかったり、

21年間免疫のない女子が異性にちやほやされたら、、、

必要で出てきているくせに、JW活動に身が入らなくなります。

 

奉仕そっちのけで、T兄弟と会ったり、

パートナーには実家に帰ると嘘ついてT兄弟と旅行に行ったり、

なんかいろいろ悪知恵働かせながら、恋愛に夢中でした。

 

そうなると、要求時間を達成できなくなることが続きます。

パートナーには嘘ついてたのに、

時間をごまかすのはできなかったんですね。

 

パートナーとの関係もどんどん悪くなります。

パートナーは、会衆での評判も良くなかったので、

今思えば、私の方がみんなに好かれていて、

優越感に浸ってマウントをとってしまったのだと思います。

 

パートナーのN姉妹が何かを察知し、レシートをチェックしたり、

バイトの帰宅時間が遅いと玄関で待ち構えていたり、

私の行動がおかしいと長老に相談したりしました。

 

パートナーのN姉妹には、

「由斗ちゃんは遠くにいても目立つんだよ」

とよく言われたのを覚えています。

ふわふわしていたんでしょうね。

 

そのうちに、T兄弟とは一度自然消滅します。

私はT兄弟にかなりいれこんでいたので、どうにか寄りを戻したかったですが、

T兄弟が車で人身事故を起こしてしまって、すべての特権を失ってしまい、

一緒にいても笑わなくなってしまい。。。

当時の私は、それがどれだけ辛いことなのか分かってなくて、

相手の立場に立って想像してみることすらしませんでした。

一生懸命笑わせようと必死で、愛情の押し付けをしてしまっていました。

T兄弟にとって私はすごく重かったと思います。

特権うんぬん以前に、ひとつの命を奪ってしまったんだから…

 

会う頻度が減り、連絡もとらなくなりました。

でも、集会では顔を合わせていたので、

T兄弟のことは常に意識していました。

 

そのうちに、バイト先の男性たちに言い寄られるようになり、

そのうちの一人と断り切れずに付き合うことになりました。

創価学会の2世の方だったので、

JWとしての立場をある程度は理解してくれたので

付き合いやすかったです。

でも、JWの教えでは性交渉はNGだったので、

そこはやはり分かってはもらえませんでした。

その方を好きにはならなかったですが、嫌われたくもなかったので、

ずるずると要求をのんでいくことになります。

でも、それがどんどん苦しくなり、勇気を出してその方とお別れしました。

 

それから20年も後に、

自分が性的マイノリティーだということに気付くわけですが…

この時は、そういう性的な行為が苦しいのは、

エホバを裏切る行為をしているからだと思い込んでいました。

 

私は、この時点でけじめをつける覚悟をしていました。

浅はかな覚悟でしたが、近い将来の自分を何となく想像していました。

 

不道徳の罪で審理委員会にかけられて、特権を失い、不活発になり、JW自然消滅になる。

面倒そうだから排斥だけは避けよう。

そんなシナリオが一番平和だと思いました。

 

今まで、

「この世では生きられない、

この世の人たちと働くのは無理だ、

組織から離れたら生活を守ってもらえない、死ぬしかない」

と思ってきたけど、

バイトぐらいなら意外とやれなくはないなと分かったし、

やめられるものならJWやめたい。

 

だけど、立場上、

I会衆に迷惑をかけるわけにはいきませんでした。

なので、実家の会衆に戻って、

そこで審理委員会にかけてもらうのが一番良いと思うようになりました。

 

パートナーとの関係がすこぶる悪くストレスで過敏性腸症候群になっていたし、

アトピーもひどかったし、

表向き、体調不良を理由に近々実家に戻るということにして、

パフォーマンスとして、開拓をおりることにしました。

開拓をおりたあとは補助開拓をして、どうにか頑張ってます感を出しました。

 

その頃、T兄弟の特権の制限が解除され、彼の目に輝きが戻ってきました。

T兄弟とまた寄りを戻すことになり、

I会衆にいられるほんのわずかの期間を楽しむことにしました。

 

T兄弟とは本当に健全な付き合いで、旅行に行ったりハグしたりはするけど、

その先はキスもなく、

それが不満にも思ったけれど、それはJWの教えを守っているからだと理解していたし、

物足りなさが、かえって愛情を増幅させるものでした。

かなり幼稚で歪んだ愛情ではあったけれど、

後にも先にも、一番美しく最高のお付き合いでした。

 

21歳~24歳、

一足遅い束の間の青春、

必要で出ておきながら、破天荒で自由奔放なI会衆での3年間でした。

 

今度は、実家の会衆に出戻ってから、

24歳~27歳の3年間を思い出そうと思います。


高卒後18歳〜21歳

2023-07-17 21:07:00 | JWとの関わり

こんにちは、

元JW2世
40代独身♀
南由斗です。
 

 
今回は、高校卒業後の3年間をふりかえってみました。
 
小さい頃から、
この世の人たちの中で仕事をすることが怖くて、
世の人=サタン側の人
という図式でしたから、
嫌で嫌で仕方ありませんでした。
 
JWの中では、全時間働くのは信仰が足りないとされていたので、
それを利用して、就職活動などはおろか、
アルバイト先すら探しませんでした。
 
そもそも、開拓者になってしまったので、
仕事をする時間があるなら、
奉仕に時間を費やさねばなりません。
 
毎月90時間とかでしたかね。
 
私が組織から離れたあと、
要求時間が変わったような話しを聞きましたが…
 
記憶があやふやで間違っていたらすみません。
 
ともかく、開拓者というステータスが心地よかった私は、
仕事をするとかお金を稼ぐという概念が
まったく理解できませんでしたし、
考えもしていませんでした。
 
ありがたいことに、
司会者のS姉妹が紹介してくれた
都内の会計事務所でアルバイトをすることになりました。
 
その会計事務所には、
M姉妹という2世開拓者がすでに働いていたので、
私は整えられた環境で気楽に働くことができていました。
 
 
開拓者になってから1年経つと、
「開拓者学校」というものに招待されるのですが、
2週間、それ専用の本をみんなで学ぶわけです。
 
私の職場は、理解ある職場だったので
2週間仕事を休むのは簡単でしたが、
他の兄弟姉妹たちは大変だっただろうと思います。
 
私は車の免許を持っていなかったので、
誰かの車に同乗させてもらって、
どこかに2~3時間かけて移動した記憶があります。
 
招待された他の会衆の兄弟姉妹たち何十人か忘れたけど、

…30人とかいたのかな。
同世代の若者が多かったので、すぐにみんなと仲良くなりました。
開拓者学校が終わってからも、お互いの会衆を行ったり来たり、
お泊りに行ったり、
絵を描くのが好きな姉妹たちもいて、
絵本を作ったりして楽しんだ記憶があります。
 
 
JWの中では、伝道活動だけはすごく嫌だったし、
集会の予習や、神権宣教学校の実演?割り当てと呼ばれていたものも面倒ではあったけれど、
 
私が出会った信者の人柄は良い人ばかりで、心地よかったので、
それなりに楽しんでいたと思います。
 
父との関係が悪すぎて、JW組織にしか居場所がなかったのもあります。
 
そのうちに、家を早く出たいと思うようになります。
 
それを職場のM姉妹に言ったら、

「幼馴染のN姉妹が必要の大きな会衆に出ていて、
新しいパートナーを探している」

と言うので、N姉妹を紹介してもらうことにしました。
 
すぐに、N姉妹と電話や手紙のやりとりがはじまりました。
I県にあるかなり田舎の会衆のようで、
「車がないと難しい」
と言われました。
 
私は車の免許をとるつもりがなかったので、
「自転車で頑張る」
と伝えたのですが、
移動範囲が広くて自転車は無理だとのこと。
 
免許をとるまで待ってくれるというので、
早速教習所に通い始めました。
 
その時、確か月収4~5万円とかだったと思います😅💦

当然お金がないので、他でアルバイトを掛け持ちしました。
時間が限られているので、頑張っても2万いかなかったと思います。
 
でも実家暮らしで、家に一銭もいれてなかったし、
稼いだお金は、自分の趣味に使っていたので、
本気を出せば5万円くらい捻出できたと思います。
 
ちなみに、最初の給料でウォークマン買ったかな。
幼い頃に禁止されていた音楽ですが、
ちょうど平成歌姫ブームもあり、
たががはずれたかのように音楽にどはまりしていました。
なので、CDレンタル代にかなり注ぎ込みました。
 
それから、天体観測が趣味だったので、
小さな望遠鏡を買い、
もう少しためて、天体撮影用のカメラを買いました。
毎月、安くはない天文雑誌や科学雑誌を購入していました。

あとはスクリーントーンとか、絵を描く道具も安くはなかったですね。

…お気楽なもんですね。
 

そんなわけで、
趣味でもない車の免許のために自分のお金を使うのは嫌だったけど、
どうにか捻出して、3か月で免許をとりました。
 
会衆のとある兄弟の紹介で中古の軽自動車をオークションで購入してもらい、
無事にI県の会衆へ移動することができました。
 
地元の会衆では初めて必要の大きな会衆に出るということで
これまたちやほやされながら送り出されました。
 
次回は、I県の会衆での3年間を振り返ろうと思います。

最後まで読んでくださり、
ありがとうございました😊

高校入学以降

2023-06-28 22:34:00 | JWとの関わり
懲らしめの鞭は、高校入学と同時なくなりました。
母の中でそう決めていたかのようにパタッとなくなりました。
 
隣の市の高校に入学し、
私をいじめていた同級生たちとはバラバラになったので、
周りは私のことを知らない生徒ばかりです。

 
中学のようなギスギスした雰囲気はなく、
人は人、自分は自分といった我関せずな雰囲気で、
多様な人がいて、
 
ものすごく心地良い場所になりました。
 
担任の先生に証言して、
「宗教上の理由で校歌を歌えない」
と言ったら、
「そんなん歌わなくていいよ」
という返事にビックリしたし、
 
高校の中では規則が厳しい方だったとは思うけど、
厳しい中でも、個人の自由が尊重されて、
偏見もないような風紀でした。
 
 
それに、初めて親友に近い友達ができました。
 
ボーイッシュで中性的でとても頭の良い女子で、
初めて仲良くなりたいと思った子です。
彼女はいつも自分のことを「ボク」と言っていて、
私は恋愛とも違う愛着を感じていました。
カリスマ的な存在だったかもしれないです。
 
勉強の話題でも何でもいいからずっと話していたくて、
すごく勉強を頑張りました。
 
彼女はいつもクラスでトップだったので、
私は2位を目指しました。
 
2年生になると、
彼女が進学コース、私は商業コースと
別クラスになってしまいましたが、
どうにか仲良くしていました。
 
いつしか、彼女と私と、その周りに輪ができていて、
アニメオタクのクラスメイトが多いことに気付きます。
私も、絵を描くことが好きだったので、
みんなで同人誌を作ったり、
放送室の機材を使って声優ごっこをしたりしました。
 
みんなは、多分日曜日とかカラオケに行ったり、
コミケなどのイベントも行ったりしていたと思うけど、
私は日曜日はJWの集会があったし、
世の人と親密になるのは禁止されていたので、
一度もみんなと遊んでいません。
 
でも、小中学校が地獄すぎたので、
高校は本当に楽しかったです。
 
 
うちの会衆には、
特別開拓者(だったっけな?)の若いS夫妻が必要で来ていました。
兄弟は長老で、ベテル出でもあったと思います。
 
高校2年のある時、
S姉妹が私の聖書研究の司会者になることが決まりました。
 
嫌な予感はしましたが、断る選択肢はありません。
S姉妹は、優しいお姉さんという感じで、
JWの若者たちとの交わり(食事招待とかスポーツとか遊びとか)を
率先して計画するような姉妹でした。
 
人柄は間違いなく素敵な方だったと思います。
 
人にではなくエホバとの関係において進歩するよう教わるのですが、
私はあまり信仰心とか持てなかったので、
結局はS姉妹や母の期待を感じ取り、空気を読んで、
人との関係において進歩していきました。
 
勧められるがままに、神権宣教学校に入り、
勧められるがままに、伝道者になり、
 
高校3年生の春に、
勧められるがままに、バプテスマを受けました。
 
JWの中でのちやほやが快感だったので、
会衆の中では進歩的で模範的なJWを目指しました。
 
断れなそうな大人しそうな同級生に証言して、
聖書研究をとりつけました。
めちゃめちゃ迷惑だったと思いますが、
奉仕時間の足しになったり、研究司会の報告?みたいのを提出できるという不純な動機がありました。
 
しかも、申し訳ないことに、
この同級生と研究につながった体験談みたいのを、
巡回大会のインタビューと実演で使わせていただきました…

『内気を克服して証言する』みたいなプログラムだったかな。
 
プログラムが終わると、
他の会衆の知らない姉妹たちから話しかけられ、
「励まされましたー」と褒められ、
とっても気持ちが良かったです。
 
今となっては気持ち悪すぎる思い出ですが。
 
結局は、
同級生の短大受験を理由に聖書研究は中断したのですが、
まぁ正解、
本当は嫌だっただろうなと推察します…
 


JWの中で、
賛美の歌をBGMにしたようなカセットテープがあったかと思うのですが、

私は高校時代放送部だったので、
ある日、昼食の時に流す音楽でそのカセットテープを流しました。

いつもはJポップなどを流していたのですが、
この時は一体何を思ってたんですかね…

すると、しばらくして、
放送室に、
JWだという先輩何人かと同級生2人が訪ねてきました。

ああ、こういう出会いもあるんだなとビックリしました。

同級生2人とは、しばらくお互いの会衆を行ったり来たりしました。


ところで、高校生活ももう終わりの頃、
巷ではミニスカートとスーパールーズソックスが流行し始めました。

私も、
学校ではスカートをせいぜい膝丈にあげてベルトして、
可愛げのある程度のルーズソックスをソックタッチでとめるぐらいはしていました。

帰宅する時には、ベルトをとって、
スカート丈を膝下に直していました。


同じ会衆の模範的すぎる同級生Kちゃんという姉妹が同じ高校にいたのですが、
模範的すぎて、いつも親からは、
「K姉妹を模範に」
と言われていて、
私は近づきにくかったんです。

ところが、ある時、高校の廊下で見たK姉妹は、
パンツが見えるか見えないかぐらいのミニスカートにスーパールーズソックスという、
校則でも禁止になっているような制服姿でした。


私の頭の中は大混乱です。


ほどなくして、
会衆から、K姉妹が排斥されたと発表がありました。

さらに大混乱です。
彼女も、小中学と宗教ゆえにいじめを受けてきて、
お母さん姉妹からは、厳しい懲らしめ…いや壮絶な虐待を受けて育っています。


その後、十数年後にKちゃんと再会し、
彼女の母親がアル中だったことや、
体罰は、懲らしめをかなり逸脱していて、
Kちゃんの足に、いまだに跡の残るほどの火傷を負わされたりするような虐待・拷問だったと知りました。

JWの中にアル中は存在しないと思っていたのと、
懲らしめはお尻を鞭でうつ方法だけだと思っていたので、火傷は衝撃的でした。


話は高校時代に戻ります。

JWでは、排斥者とはもう話せないので、
彼女のお母さん姉妹に、
私から他の同級生にも排斥のことを伝えるよう頼まれました。

一人の姉妹は、
「高校卒業して開拓者になってパートナー組もうって言ってたのに…」
とショックを受けていました。


排斥前に、何回か、私の司会者でもあるS姉妹と、
Kちゃんの家に行って3人で聖書研究をした記憶があります。

排斥理由は分かりませんが、
その時の感じから、異性関係なのかなーと思いました。


高校3年生も終わりの頃になると、
登校日も減ってくるので、
補助開拓をするようになります。

30年ぐらい前だと、月70時間とかでしたかね?

よく覚えてないですが、
会衆で、補助開拓をする人の名前が発表されて、
ちやほやされるからしたんだと思います笑


でなければ、大嫌いな伝道活動なんてしたくなかったと思います。



次回は、高卒後のことを書こうと思います。

小中学校9年間

2023-06-14 21:03:00 | JWとの関わり
こんばんは、
元JW2世
40代独身♀
南由斗です。
 
 
「愛のある懲らしめの鞭棒」でたたかれて育ったわけですが、
 
うちは父の反対が強かったので、
周りの2世よりは進歩が遅かったです。
 
母も、きっと自分のことで精いっぱいだったのかもしれませんが、
私に特権を得るように強くは言いませんでした。

私の父への態度がひどかったのもあるかもしれません。

JWの教えの中で、
家庭内でも慎ましく模範的な振る舞いをしなければならないと教わりますから、

特権を得るにはまだふさわしくないと母が判断していた可能性はあります。
 
中学生までは、
母との聖書研究のほかに、
日曜日の集会と休日の野外奉仕に参加するだけでした。

父が仕事から帰宅していない時は、
夜の集会に出席しました。
帰宅すると、
玄関で待ち構えていた父に怒鳴られ、
塩をまかれました。

私には自分の部屋がなくて、
居間にしか居場所がなかったので、
何時間も説教というかJWの悪口をグチグチ聞かされて、
ものすごく嫌でした。
 
よく「ク〇じじい!うるせぇ!」って汚い言葉を父に浴びせていました…

母はよく、
「ちょっとあんた…そんな言葉遣いじゃ証言にならないでしょ」
とおろおろしていました。
 
今となっては両親に申し訳ないです……
 
大会がある日は、
学校を休んで行くのですが、
母は当日になってやっと父に、
「今日から3日間大会だから」と打ち明けるので、
父から「学校行け」と怒鳴られて、
逃げるようにして家を出て大会に出ていた記憶があります。
 
父が見える所に宗教の出版物を置いておくことも禁止だったので、
父がいない時や入浴中に聖書研究をしたり集会の予習をしたりして、
父が居間に戻ってきたら慌てて出版物を隠して、
学校の宿題をしているふりをするというのが続きました。
 
 
周りの2世は、お父さんが理解者である子が多く、
中学生で伝道者になっていたりバプテスマ(献身・洗礼のこと)を受けていました。

バプテスマは大会で行われるのですが(…でしたよね…?)、
同年代の子がバプテスマを受けるのを見るたびに、
『あ〜あの子もエホバ側に持っていかれちゃった』
と思っていました。

私は伝道者になる気さえありませんでしたし、
バプテスマなんてもってのほかでした。
 
弟2人は聖書研究を嫌がって、
集会もあからさまに拒絶するようになり、
特に母が可愛がっていた下の弟が、
小学校高学年で不良グループと関わってグレるようになってしまい、
小学校にもあまり登校しなくなりました。
 
上の弟も、グレるまではいきませんでしたが、
宗教からも家族からも離れていきました。

 
なので、母の期待の眼差しは私だけに向けられているような気がして、
私は嫌々ながらも宗教から離れることができずにいました。
 
 
小中学の9年間、
いじめを受け、
クラスメイトの嫌なところばかり見て、
 
そもそも世の人と親しくなってはいけないため友達もろくにできず、
友達ができたとしても、
私の人間性に問題がありすぎて、
1週間も仲良しを続けることができず、
すぐ仲違いしてしまったりしていました。

 
JWにおいて、
学歴は軽視されてきたので、
必要ないと思って勉強もろくにせず、
特に数学は赤点で補習ばかり。
 
楽しみごとは一人でお絵描き、
休みの日は母と伝道活動に行く。
 
帰宅しても、父と怒鳴り合い。
 
といった具合で、
毎日地獄のような日々でした。
 
早く大人になって、
懲らしめの鞭を受ける方じゃなく、
与える側になりたいと思っていました。

同時に、
大人になって、
この世の人たちと仕事をしなければならないのは辛いから、
大人になる前にどうにか死にたいとも思っていました。

中学2年・3年頃は、
ストレスから、毎日自分の髪の毛をむしっていました。

ストレスとは気付いてなかったですが、
髪の毛を抜くたびに、
快感を得られたのと、
アトピーがひどかったので、
かゆみを誤魔化せたからだと思います。



私の人格はすっかり歪んでしまっていました。

小中学時代はこんな感じです。

※あ、人格が歪んでいるのは今も治ってません笑



ひどい文章ですが、
読んでくださっている方、
ありがとうございます。

ゆっくりではありますが、
今度は高校に入ってからのことを書こうと思います。