ゆめのつづき

リアル世界では秘密にしていることなど、
生きづらさを吐露する場所にさせて頂けたらと思います。

I県I会衆での3年間

2023-08-01 22:54:00 | JWとの関わり

こんにちは

元JW2世

40代独身♀

南由斗です。

 

今日は、

必要の大きな会衆へ出てパートナー生活をすることになった21歳~の3年間を書こうと思います。

実際は、ただただ家を出たかっただけなんですが…

そんな程度だったので、なかなかひどい3年間でした。

 

実家の会衆は、電話伝道や街路伝道などを織り込みながらも、

大体1か月で全区域を網羅してしまう状態でした。

なので、家の方の反応は結構冷たかったです。

それに比べて、I会衆の網羅率は大体3か月くらいだったし、

農家が多く、家の方も話し相手が欲しい年配の方が多かったので、

伝道活動はとてもやりやすかったです。(=時間を稼ぎやすかった笑)

 

I会衆に移動してすぐに芋煮会があり、誘われたのでホイホイ行きました。

そこで19歳のT兄弟とすぐに意気投合します。

T兄弟とはすぐに両想いになり、お付き合いが始まりました。

21歳にして初カレです♡

T兄弟は、両親ともJWいわゆる神権家族2世の兄弟でした。

初対面から内側にすごく闇を感じて、

表向きに見せている饒舌で明るい感じとのギャップに惹かれてしまいました。

(闇の原因は、小さい頃にお父さん兄弟から受けた虐待でした)

 

それからは、いじめと虐待で地獄だった学生時代の

9年間と打って変わったような逆転人生が始まりました。

モテモテフィーバーは、その後10年間くらい続きました笑

今思えば、私だけに向けられた愛情を感じることに中毒になっていたのだと思います。

出会う男性すべてから、愛情とまでいかなくとも好かれたかったんです。

それが自分の価値をはかるものさしでした。

 

そんなわけで、変な自信をつけた私は、

ダサかった外見もあか抜けていきます。

ファッションにも気を使うようになり、

髪もカラーリングでどんどん明るくしていきました。

 

外見を飾ってイケてるとかチャラいふうに見せても、

内面はそうそう変わるはずもなく、

世の中を何も知らないただの天然田舎娘なので、

いろいろとトラブルにも巻き込まれました。

 

ストーカー被害には命の危険を感じるほどで……

 

バイト先でもなぜかモテてしまったり、

地域大会で他の会衆の兄弟からアタックされて、なかなか帰してもらえなかったり、

21年間免疫のない女子が異性にちやほやされたら、、、

必要で出てきているくせに、JW活動に身が入らなくなります。

 

奉仕そっちのけで、T兄弟と会ったり、

パートナーには実家に帰ると嘘ついてT兄弟と旅行に行ったり、

なんかいろいろ悪知恵働かせながら、恋愛に夢中でした。

 

そうなると、要求時間を達成できなくなることが続きます。

パートナーには嘘ついてたのに、

時間をごまかすのはできなかったんですね。

 

パートナーとの関係もどんどん悪くなります。

パートナーは、会衆での評判も良くなかったので、

今思えば、私の方がみんなに好かれていて、

優越感に浸ってマウントをとってしまったのだと思います。

 

パートナーのN姉妹が何かを察知し、レシートをチェックしたり、

バイトの帰宅時間が遅いと玄関で待ち構えていたり、

私の行動がおかしいと長老に相談したりしました。

 

パートナーのN姉妹には、

「由斗ちゃんは遠くにいても目立つんだよ」

とよく言われたのを覚えています。

ふわふわしていたんでしょうね。

 

そのうちに、T兄弟とは一度自然消滅します。

私はT兄弟にかなりいれこんでいたので、どうにか寄りを戻したかったですが、

T兄弟が車で人身事故を起こしてしまって、すべての特権を失ってしまい、

一緒にいても笑わなくなってしまい。。。

当時の私は、それがどれだけ辛いことなのか分かってなくて、

相手の立場に立って想像してみることすらしませんでした。

一生懸命笑わせようと必死で、愛情の押し付けをしてしまっていました。

T兄弟にとって私はすごく重かったと思います。

特権うんぬん以前に、ひとつの命を奪ってしまったんだから…

 

会う頻度が減り、連絡もとらなくなりました。

でも、集会では顔を合わせていたので、

T兄弟のことは常に意識していました。

 

そのうちに、バイト先の男性たちに言い寄られるようになり、

そのうちの一人と断り切れずに付き合うことになりました。

創価学会の2世の方だったので、

JWとしての立場をある程度は理解してくれたので

付き合いやすかったです。

でも、JWの教えでは性交渉はNGだったので、

そこはやはり分かってはもらえませんでした。

その方を好きにはならなかったですが、嫌われたくもなかったので、

ずるずると要求をのんでいくことになります。

でも、それがどんどん苦しくなり、勇気を出してその方とお別れしました。

 

それから20年も後に、

自分が性的マイノリティーだということに気付くわけですが…

この時は、そういう性的な行為が苦しいのは、

エホバを裏切る行為をしているからだと思い込んでいました。

 

私は、この時点でけじめをつける覚悟をしていました。

浅はかな覚悟でしたが、近い将来の自分を何となく想像していました。

 

不道徳の罪で審理委員会にかけられて、特権を失い、不活発になり、JW自然消滅になる。

面倒そうだから排斥だけは避けよう。

そんなシナリオが一番平和だと思いました。

 

今まで、

「この世では生きられない、

この世の人たちと働くのは無理だ、

組織から離れたら生活を守ってもらえない、死ぬしかない」

と思ってきたけど、

バイトぐらいなら意外とやれなくはないなと分かったし、

やめられるものならJWやめたい。

 

だけど、立場上、

I会衆に迷惑をかけるわけにはいきませんでした。

なので、実家の会衆に戻って、

そこで審理委員会にかけてもらうのが一番良いと思うようになりました。

 

パートナーとの関係がすこぶる悪くストレスで過敏性腸症候群になっていたし、

アトピーもひどかったし、

表向き、体調不良を理由に近々実家に戻るということにして、

パフォーマンスとして、開拓をおりることにしました。

開拓をおりたあとは補助開拓をして、どうにか頑張ってます感を出しました。

 

その頃、T兄弟の特権の制限が解除され、彼の目に輝きが戻ってきました。

T兄弟とまた寄りを戻すことになり、

I会衆にいられるほんのわずかの期間を楽しむことにしました。

 

T兄弟とは本当に健全な付き合いで、旅行に行ったりハグしたりはするけど、

その先はキスもなく、

それが不満にも思ったけれど、それはJWの教えを守っているからだと理解していたし、

物足りなさが、かえって愛情を増幅させるものでした。

かなり幼稚で歪んだ愛情ではあったけれど、

後にも先にも、一番美しく最高のお付き合いでした。

 

21歳~24歳、

一足遅い束の間の青春、

必要で出ておきながら、破天荒で自由奔放なI会衆での3年間でした。

 

今度は、実家の会衆に出戻ってから、

24歳~27歳の3年間を思い出そうと思います。



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