こんばんは、
元JW2世
40代独身♀
南由斗です。
「愛のある懲らしめの鞭棒」でたたかれて育ったわけですが、
うちは父の反対が強かったので、
周りの2世よりは進歩が遅かったです。
母も、きっと自分のことで精いっぱいだったのかもしれませんが、
私に特権を得るように強くは言いませんでした。
私の父への態度がひどかったのもあるかもしれません。
JWの教えの中で、
家庭内でも慎ましく模範的な振る舞いをしなければならないと教わりますから、
特権を得るにはまだふさわしくないと母が判断していた可能性はあります。
中学生までは、
母との聖書研究のほかに、
日曜日の集会と休日の野外奉仕に参加するだけでした。
父が仕事から帰宅していない時は、
夜の集会に出席しました。
帰宅すると、
玄関で待ち構えていた父に怒鳴られ、
塩をまかれました。
私には自分の部屋がなくて、
居間にしか居場所がなかったので、
何時間も説教というかJWの悪口をグチグチ聞かされて、
ものすごく嫌でした。
よく「ク〇じじい!うるせぇ!」って汚い言葉を父に浴びせていました…
母はよく、
「ちょっとあんた…そんな言葉遣いじゃ証言にならないでしょ」
とおろおろしていました。
今となっては両親に申し訳ないです……
大会がある日は、
学校を休んで行くのですが、
母は当日になってやっと父に、
「今日から3日間大会だから」と打ち明けるので、
父から「学校行け」と怒鳴られて、
逃げるようにして家を出て大会に出ていた記憶があります。
父が見える所に宗教の出版物を置いておくことも禁止だったので、
父がいない時や入浴中に聖書研究をしたり集会の予習をしたりして、
父が居間に戻ってきたら慌てて出版物を隠して、
学校の宿題をしているふりをするというのが続きました。
周りの2世は、お父さんが理解者である子が多く、
中学生で伝道者になっていたりバプテスマ(献身・洗礼のこと)を受けていました。
バプテスマは大会で行われるのですが(…でしたよね…?)、
同年代の子がバプテスマを受けるのを見るたびに、
『あ〜あの子もエホバ側に持っていかれちゃった』
と思っていました。
私は伝道者になる気さえありませんでしたし、
バプテスマなんてもってのほかでした。
弟2人は聖書研究を嫌がって、
集会もあからさまに拒絶するようになり、
特に母が可愛がっていた下の弟が、
小学校高学年で不良グループと関わってグレるようになってしまい、
小学校にもあまり登校しなくなりました。
上の弟も、グレるまではいきませんでしたが、
宗教からも家族からも離れていきました。
なので、母の期待の眼差しは私だけに向けられているような気がして、
私は嫌々ながらも宗教から離れることができずにいました。
小中学の9年間、
いじめを受け、
クラスメイトの嫌なところばかり見て、
そもそも世の人と親しくなってはいけないため友達もろくにできず、
友達ができたとしても、
私の人間性に問題がありすぎて、
1週間も仲良しを続けることができず、
すぐ仲違いしてしまったりしていました。
JWにおいて、
学歴は軽視されてきたので、
必要ないと思って勉強もろくにせず、
特に数学は赤点で補習ばかり。
楽しみごとは一人でお絵描き、
休みの日は母と伝道活動に行く。
帰宅しても、父と怒鳴り合い。
といった具合で、
毎日地獄のような日々でした。
早く大人になって、
懲らしめの鞭を受ける方じゃなく、
与える側になりたいと思っていました。
同時に、
大人になって、
この世の人たちと仕事をしなければならないのは辛いから、
大人になる前にどうにか死にたいとも思っていました。
中学2年・3年頃は、
ストレスから、毎日自分の髪の毛をむしっていました。
ストレスとは気付いてなかったですが、
髪の毛を抜くたびに、
快感を得られたのと、
アトピーがひどかったので、
かゆみを誤魔化せたからだと思います。
私の人格はすっかり歪んでしまっていました。
小中学時代はこんな感じです。
※あ、人格が歪んでいるのは今も治ってません笑
ひどい文章ですが、
読んでくださっている方、
ありがとうございます。
ゆっくりではありますが、
今度は高校に入ってからのことを書こうと思います。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます