ゆめのつづき

リアル世界では秘密にしていることなど、
生きづらさを吐露する場所にさせて頂けたらと思います。

高校入学以降

2023-06-28 22:34:00 | JWとの関わり
懲らしめの鞭は、高校入学と同時なくなりました。
母の中でそう決めていたかのようにパタッとなくなりました。
 
隣の市の高校に入学し、
私をいじめていた同級生たちとはバラバラになったので、
周りは私のことを知らない生徒ばかりです。

 
中学のようなギスギスした雰囲気はなく、
人は人、自分は自分といった我関せずな雰囲気で、
多様な人がいて、
 
ものすごく心地良い場所になりました。
 
担任の先生に証言して、
「宗教上の理由で校歌を歌えない」
と言ったら、
「そんなん歌わなくていいよ」
という返事にビックリしたし、
 
高校の中では規則が厳しい方だったとは思うけど、
厳しい中でも、個人の自由が尊重されて、
偏見もないような風紀でした。
 
 
それに、初めて親友に近い友達ができました。
 
ボーイッシュで中性的でとても頭の良い女子で、
初めて仲良くなりたいと思った子です。
彼女はいつも自分のことを「ボク」と言っていて、
私は恋愛とも違う愛着を感じていました。
カリスマ的な存在だったかもしれないです。
 
勉強の話題でも何でもいいからずっと話していたくて、
すごく勉強を頑張りました。
 
彼女はいつもクラスでトップだったので、
私は2位を目指しました。
 
2年生になると、
彼女が進学コース、私は商業コースと
別クラスになってしまいましたが、
どうにか仲良くしていました。
 
いつしか、彼女と私と、その周りに輪ができていて、
アニメオタクのクラスメイトが多いことに気付きます。
私も、絵を描くことが好きだったので、
みんなで同人誌を作ったり、
放送室の機材を使って声優ごっこをしたりしました。
 
みんなは、多分日曜日とかカラオケに行ったり、
コミケなどのイベントも行ったりしていたと思うけど、
私は日曜日はJWの集会があったし、
世の人と親密になるのは禁止されていたので、
一度もみんなと遊んでいません。
 
でも、小中学校が地獄すぎたので、
高校は本当に楽しかったです。
 
 
うちの会衆には、
特別開拓者(だったっけな?)の若いS夫妻が必要で来ていました。
兄弟は長老で、ベテル出でもあったと思います。
 
高校2年のある時、
S姉妹が私の聖書研究の司会者になることが決まりました。
 
嫌な予感はしましたが、断る選択肢はありません。
S姉妹は、優しいお姉さんという感じで、
JWの若者たちとの交わり(食事招待とかスポーツとか遊びとか)を
率先して計画するような姉妹でした。
 
人柄は間違いなく素敵な方だったと思います。
 
人にではなくエホバとの関係において進歩するよう教わるのですが、
私はあまり信仰心とか持てなかったので、
結局はS姉妹や母の期待を感じ取り、空気を読んで、
人との関係において進歩していきました。
 
勧められるがままに、神権宣教学校に入り、
勧められるがままに、伝道者になり、
 
高校3年生の春に、
勧められるがままに、バプテスマを受けました。
 
JWの中でのちやほやが快感だったので、
会衆の中では進歩的で模範的なJWを目指しました。
 
断れなそうな大人しそうな同級生に証言して、
聖書研究をとりつけました。
めちゃめちゃ迷惑だったと思いますが、
奉仕時間の足しになったり、研究司会の報告?みたいのを提出できるという不純な動機がありました。
 
しかも、申し訳ないことに、
この同級生と研究につながった体験談みたいのを、
巡回大会のインタビューと実演で使わせていただきました…

『内気を克服して証言する』みたいなプログラムだったかな。
 
プログラムが終わると、
他の会衆の知らない姉妹たちから話しかけられ、
「励まされましたー」と褒められ、
とっても気持ちが良かったです。
 
今となっては気持ち悪すぎる思い出ですが。
 
結局は、
同級生の短大受験を理由に聖書研究は中断したのですが、
まぁ正解、
本当は嫌だっただろうなと推察します…
 


JWの中で、
賛美の歌をBGMにしたようなカセットテープがあったかと思うのですが、

私は高校時代放送部だったので、
ある日、昼食の時に流す音楽でそのカセットテープを流しました。

いつもはJポップなどを流していたのですが、
この時は一体何を思ってたんですかね…

すると、しばらくして、
放送室に、
JWだという先輩何人かと同級生2人が訪ねてきました。

ああ、こういう出会いもあるんだなとビックリしました。

同級生2人とは、しばらくお互いの会衆を行ったり来たりしました。


ところで、高校生活ももう終わりの頃、
巷ではミニスカートとスーパールーズソックスが流行し始めました。

私も、
学校ではスカートをせいぜい膝丈にあげてベルトして、
可愛げのある程度のルーズソックスをソックタッチでとめるぐらいはしていました。

帰宅する時には、ベルトをとって、
スカート丈を膝下に直していました。


同じ会衆の模範的すぎる同級生Kちゃんという姉妹が同じ高校にいたのですが、
模範的すぎて、いつも親からは、
「K姉妹を模範に」
と言われていて、
私は近づきにくかったんです。

ところが、ある時、高校の廊下で見たK姉妹は、
パンツが見えるか見えないかぐらいのミニスカートにスーパールーズソックスという、
校則でも禁止になっているような制服姿でした。


私の頭の中は大混乱です。


ほどなくして、
会衆から、K姉妹が排斥されたと発表がありました。

さらに大混乱です。
彼女も、小中学と宗教ゆえにいじめを受けてきて、
お母さん姉妹からは、厳しい懲らしめ…いや壮絶な虐待を受けて育っています。


その後、十数年後にKちゃんと再会し、
彼女の母親がアル中だったことや、
体罰は、懲らしめをかなり逸脱していて、
Kちゃんの足に、いまだに跡の残るほどの火傷を負わされたりするような虐待・拷問だったと知りました。

JWの中にアル中は存在しないと思っていたのと、
懲らしめはお尻を鞭でうつ方法だけだと思っていたので、火傷は衝撃的でした。


話は高校時代に戻ります。

JWでは、排斥者とはもう話せないので、
彼女のお母さん姉妹に、
私から他の同級生にも排斥のことを伝えるよう頼まれました。

一人の姉妹は、
「高校卒業して開拓者になってパートナー組もうって言ってたのに…」
とショックを受けていました。


排斥前に、何回か、私の司会者でもあるS姉妹と、
Kちゃんの家に行って3人で聖書研究をした記憶があります。

排斥理由は分かりませんが、
その時の感じから、異性関係なのかなーと思いました。


高校3年生も終わりの頃になると、
登校日も減ってくるので、
補助開拓をするようになります。

30年ぐらい前だと、月70時間とかでしたかね?

よく覚えてないですが、
会衆で、補助開拓をする人の名前が発表されて、
ちやほやされるからしたんだと思います笑


でなければ、大嫌いな伝道活動なんてしたくなかったと思います。



次回は、高卒後のことを書こうと思います。


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