ゆめのつづき

リアル世界では秘密にしていることなど、
生きづらさを吐露する場所にさせて頂けたらと思います。

狂った人生のはじまり

2023-06-10 22:03:00 | JWとの関わり

こんばんは

元JW2世、40代独身♀

南由斗です。

 

人生が狂った最初のきっかけって何だったっけ?

 

思い出しながら書いていこうと思います。

 

うちは、両親と私と弟2人の5人家族です。

父は高校の教師で、母は教え子だったらしいです。

子供3人ももうけてるし、最初はきっと仲の良い家族だったんだと思います。

小さい頃、父が仕事に出かける前や、帰宅後に、

みんなで玄関まで出てお見送りやお出迎えをしていたり、

その時に父から”高い高い”をしてもらったり、

握手か何かしたりした幸せだった記憶があります。

 

だけど、ほどなくして、

家庭内は険悪ムードへと一転します。

 

私がまだ幼稚園の頃、

母は、K姉妹

(JWは、献身したら「兄弟」「姉妹」と呼び合う…で合ってるかな?)

の訪問を受け、聖書の研究をするようになりました。

K姉妹が他の人を連れ添ってくることもよくあり、

母が信頼しきっている様子から、

良い人なのだろうというのは思っていましたが、

同時に、異様な雰囲気も感じ取っていました。

 

そのうちに、K姉妹が来ると、

母が鞭でたたいてくるというパターンも理解するようになりました。

衝撃だったのは、

K姉妹か誰かが、他人の子供を別の部屋に連れて行って鞭をしていたことです。

お手本を見せるみたいな感じだったかと。

その他人の子供というのが、

私だったのか、弟だったのか、

それとも別の研究生の子供だったのか覚えていないですが、

昭和ならではの、みんなでしつけしましょう的な感じなのかなと思っていました。

 

普通の方には分からないと思うけど、洗脳状態にあるので、

どんなにギャン泣きしながら別の部屋に連れていかれてたたかれている子供がいても、誰も止めようとか思わないんです。

 

自分がそうなっても、助けてもらえるとか止めてもらえるとか、期待すらしません。

 

だって、その宗教の中では、それがちゃんと教育してしつけていて模範的なのだから。

止めるとしたら、悪になってしまう。

 

日曜日には、

反対者の父を家に置いて4人で王国会館(JWの集会場所)に行きました。


平日週2日ほど、夜の集会もあり、

父が仕事から帰宅する前に4人で集会に行くこともありました。

 

当時の私には想像力がなかったので、

どうして父がそんなに反対するのか、

どうして母と仲良くできないのか疑問でした。

そりゃそうですよね。

 

今までの家族のだんらんはなくなり、

食卓を囲む回数も減り、

仕事から帰宅しても誰もいなくて、

作り置きの夕飯がサランラップしてあって、

むなしく一人で食べる…

 

そんな様子を想像力を働かせて一度すら考えてみることができなかった私。

 

いつしか、両親は家庭内別居していました。

父は、2階の部屋から出てこなくなりました。

食事は2階で食べ、2階で寝るようになりました。

子育てに興味・関心を示さなくなりました。

 

反対者の父はサタン側だと洗脳され、

私も関わらないようにしていましたし、

父には長い間ずいぶん反抗的な態度をとりました。

 

同時に、父が家にいる時は、母は積極的にはたたいてこなかったので、

鞭打ちの刑にあった時は、父が早く仕事から帰ってこないかなと思ったものです。

 

だけど、虐待に気づいていてちゃんと助けてくれない父に、

恨みもかなりあったと思います。

 

小学生にあがって、学校から帰宅すると、母の研究中だったりして、

極度の人見知りだった私は、玄関にうじうじとどまっていて、

部屋の扉をあけることができないこともありました。

 

そうすると、研究に参加しなかったということで、鞭をうたれた記憶があります。

私も母の司会で聖書研究をさせられていました。

お祈り、日々の聖句、聖書通読にはじまり、学校での証言の練習などなど…

本当に嫌で嫌で仕方なかったですが、

鞭でうたれるので仕方なくやっていました。

 

学校が楽しければ少しは良かったのでしょうが、

小学1年生の担任の先生は、

昭和にはよくいた体罰教師だったので、

私は毎朝たたかれていて地獄の日々でした。

 

先生にたたかれていた原因は、

母の決めたルールのせいです。


母が決めた学習のノルマが達成できたら学校に行けるという謎のルールがあり、

登校時間が迫ると、遅刻して先生にたたかれるのが嫌だからぐずるわけです。

でも、ぐずると、母から鞭うちの刑にされ、

結果、どのみち遅刻して、

先生にもたたかれるというわけです。

 

それが毎朝毎朝続くので、

嫌だし苦しいけど、これが自分の運命なんだと思って諦めていました。

 

小学3年生ともなると、

クラスメートもいろいろと分かってきて、

宗教のことをいじられたりします。


やんちゃな男子からは、よくからかわれました。

しょっちゅう暴力も受けていたので、

父がよくその男子の家に電話して親御さんに注意してくれていたのを覚えています。

 

私は、宗教的な理由で学校行事にはほとんど参加できなかったので、

かなり目立った存在でしたし、

小中学生の9年間は、ほとんどいじめの対象になっていました。

 

これが当たり前の人生で、

これがダサい私の生きる道なのだと思うしかありませんでした。

そして、小学生~大人になってからもずっと、ずっと、

死にたくて仕方なく、

いつもどうやって死のうかばかり考えていました。

 

洗脳で、

エホバがいるからまだ守られているけれど、

宗教から離れたら、この世ではとても生きていけない、離れるわけにはいかないんだ、

と思っていました。


家庭も学校も居心地が悪い、

その中で、JWの中だけではちやほやされて、

「お父さんから迫害を受けながら集会に来て偉いね」

って褒められて、

そりゃ集会でじっとしているのは苦痛だけど、

終わった後の交わりは心地よかったです。


聖書にはまったく興味がなく、集会は嫌々ながらでしたが、

学校のクラスメイトの陰湿なところばかり見ていたので、

兄弟姉妹たちの人柄に魅力と安心感を感じていたのは間違いないです。


私の居場所はここしかないと思いました。


正直、離れてずいぶん経つ今でも、

あの時のような心地よい居場所はこの世で見出したことはありません。


もう戻ることはないですが…

 

ということで、

思い出すのにだいぶ時間がかかってしまい、長い文章になってしまいましたが、

人生が狂った最初のきっかけはこんな感じだったかなと思います。



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