こんばんは、
40代独身♀
南由斗です。
宗教2世問題の中で、
JWの体罰・虐待・鞭がこんなに世間を騒がせていることに驚いている今日この頃です。
なぜなら、私にとっては、それが普通の生活だったから。
周りの2世も同じようにしつけられていたので、当たり前だったから…
うちには、母の司会者であるK姉妹から手に入れたゴム製の鞭棒があり、
それはそれはしなやかで、
少しの力でもかなり痛めつけることができる素材でした。
回数は人にもよるでしょうが、
大体は何十回もたたかれるわけですから、
今考えると、実の母から拷問のような虐待を受け、それも組織ぐるみで推奨していたと思うとゾッとします。
大人同士の会話で、
『叩く方が痛いのはダメだから、素手で叩くのはダメ』とか、
どうしたら痛みを強められるかとか、
そんな会話が聞こえたのを覚えています。
素手で叩くと、痛みが伝わって、
情でたたけなくなってしまうからでしょうかね。
母も、いろいろと工夫していて、
緑のゴムホースを使ってみたり、
布団たたきを試したりしていました。
布団たたきは、木製もプラスチック製もあったと思うけど、すぐ壊れてしまいました。
壊れるぐらい叩かれたからなんですけどね。
鞭でうたれる時は、お祈りの後、
『お願いします』と言って自分でズボンをおろしました。
ぐずぐすしていると、
恐怖のカウントダウンが始まります。
0になると容赦なく鞭うち開始です。
当然痛みで避けようとしたり手で防御しようとしたりします。
避けようとすると回数が増えましたし、
防御しようとした手に鞭が当たろうがお構いなしに叩かれました。
終わったら、『ありがとうございました』と言わされました。
その日のお風呂はお尻がヒリヒリ痛かったです。
パンツまでおろしたかどうか、確証はないですが、
「はい、おしり出して」
とよく言われたので、パンツをおろしたことあったかもしれません。
うちは3人兄弟なのですが、
3人とも鞭でうたれる時は、長女の私から順番にたたかれるので、
私がたたかれている間に、
弟2人はトイレに逃げ込んでやり過ごす知恵を身につけます。
弟たちは、パンツの中に新聞紙をかませて、なるべく痛くないように工夫していました。
下の弟は、母親キラーだったので、
かなりの頻度で鞭を逃れていました。
顔がとても可愛くて愛嬌があったので、
母は怒れなくなってしまったらしいです。
私と上の弟は激しく鞭をうたれたので、
私たちはすごく神経質な人間になりました。
ストレスもあるのか、
2人ともアトピーがひどく、かんしゃくもちだし、常にイライラしていました。
上の弟は、大きくなってから、
「宗教とアトピーさえなければ」
とよく言っていました。
ところで、
同じゴム製の鞭棒が王国会館の第二会場にもあり、
言うことを聞かない子供が、その鞭棒でたたかれるわけですが、
最近どなたかのブログで読んだ記事にも、
たぶんまるきり同じゴム製の鞭棒のことが書かれていたので、
JW組織の中で、広めていた信者がいたのかもしれません。
私が幼い頃は、会衆に宣教者がいたような記憶があります。
35〜40年くらい前かな?
リチャード名◯っていう兄弟の名前をすごく覚えていますが、
たまたま来ていた所に会っただけなのか、
うちの会衆に在籍していたのか、分からないですが、
すごい人で雲の上の人なのだろうなと思っていました。
きっと、こういう人たちの指導のもと、
懲らしめの鞭棒は使用されたのでしょう。
確証はなく、憶測でしかないですが。
鞭うちは嫌だったけど、
大人になってからも虐待されていたとは気付いてなくて、
(虐待っていう言葉もまだなかったか、知らなかった)
親の信じていることは正しくて自分が言うことを聞かなかったから仕方なかったんだと思っていました。
宗教の活動は嫌々やっていて、
心まで持っていかれてないから、
洗脳されていないと思っていたのですが、
28歳くらいの時に、
あるサイトで知り合った元JWの方に、
それ虐待だよ、
洗脳されてるよ、
って教えてもらって知ったんです。
その辺のことはまた追って書けたらと思います。
ということで、
思い出してみた鞭の記憶でした。
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