7日月曜日は上中島仮設住宅へ、足湯マッサージのボランティア活動でした。10時半からの来訪者に備えて女性2人と私の3人で待った。「男の人のマッサージ、はぁ お・ら・あ・初めン で・だ・で・ば」と歓声を上げてくれた。「毎週月曜日になっと、足湯マッサージが楽しみナンダデバ」と。甲子柿(かっしがき)をご馳走になりおばちゃんらと話が弾んだ。私の口から釜石訛りが自然にでると、みなさんの表情が柔らかなるのが嬉しかった。
昼食後に新聞社へ電話してみた。聞けば、そんなに遠くなさそうだ。ハローワークの向いの線路「住吉踏み切り」を渡って坂道を上がる道。
小さな沢が流れる山間の道を入った民家の2階部分に「復興 釜石新聞社」はあった。表札とか看板はないが、直ぐにそれとわかった。急な階段を上がった。
津波で被災したから、新聞社とはいえ、輪転機のインクの臭いは期待できないが、連日活躍する新聞人の製作現場を訪ねて、新聞発行のお礼と激励を申し上げられたらいいなあ、という気持ちでした。
釜石新聞創刊6月11日(土)第一号
「負げねぞ 釜石! WE DO NOT LOSE」赤く丸いデザインカット
津波で被災した鵜住居小学校の児童は、1-4年生が双葉小学校、5-6年生が小佐野小学校に分かれて学んでいる。3年生の33人が、釜石新聞社周辺の沢に足を踏み入れたとき
の写真を、一面に大きく掲載している。
”津波に負けない笑顔が、未来へ向かう釜石の明るい光を感じさせる”(浦山奈穂江撮影)
この日私が歩いた沢沿いの小道に、子どもたちの明るい絵顔があったんですね!
復興釜石新聞のバックナンバーを帰り際に頂戴した。釜石市役所に電話して、松戸の自宅へ宅配サービスをお願いしてきました。(これまでは東京に出たときに、いわて銀河プラザで情報を見ていた)
昼食後に新聞社へ電話してみた。聞けば、そんなに遠くなさそうだ。ハローワークの向いの線路「住吉踏み切り」を渡って坂道を上がる道。
小さな沢が流れる山間の道を入った民家の2階部分に「復興 釜石新聞社」はあった。表札とか看板はないが、直ぐにそれとわかった。急な階段を上がった。
津波で被災したから、新聞社とはいえ、輪転機のインクの臭いは期待できないが、連日活躍する新聞人の製作現場を訪ねて、新聞発行のお礼と激励を申し上げられたらいいなあ、という気持ちでした。
釜石新聞創刊6月11日(土)第一号
「負げねぞ 釜石! WE DO NOT LOSE」赤く丸いデザインカット
津波で被災した鵜住居小学校の児童は、1-4年生が双葉小学校、5-6年生が小佐野小学校に分かれて学んでいる。3年生の33人が、釜石新聞社周辺の沢に足を踏み入れたとき
の写真を、一面に大きく掲載している。
”津波に負けない笑顔が、未来へ向かう釜石の明るい光を感じさせる”(浦山奈穂江撮影)
この日私が歩いた沢沿いの小道に、子どもたちの明るい絵顔があったんですね!
復興釜石新聞のバックナンバーを帰り際に頂戴した。釜石市役所に電話して、松戸の自宅へ宅配サービスをお願いしてきました。(これまでは東京に出たときに、いわて銀河プラザで情報を見ていた)