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いま、手元にある「胆振芸術祭実効委員会発行「いぶり文芸」第6集」 昭和51年のだから、36年前の文芸冊子。「贈 吉弘君 母51、5」この年5月に、室蘭から当時私が住んでいた習志野へ送られてきたもの。その中から・・・。
<俳句> 室蘭 磯崎咲子
桜散る 寺静かなり 一周忌
おくつきに 椿残れり 一周忌
逮捕の灯 ゆれて卯月の 影おぼろ/font>
「逮夜(たいや)の灯」が、正しい。コメント欄に詳細。
<短歌> 室蘭 磯崎咲子
” みちのくの旅より ”
仙台市船岡城址にて
胸をはり 天にとどけと そびえたつ
船岡城の 樅の木あわれ
さしみより 骨多からん この魚
夫の獲物なれば 包丁をとぐ
ものすべて 静まりかえり そろばんの
音ひそめつつ 記帳しおわる
※これを読んだ、息子の解説です。
「・・・一周忌」
父は享年83歳で釜石の病院で死去。母は70位後半。「お父さんとの最後のお別れの時は、みんなの前で、接吻して送ってあげる」と生前から言っていた通り。ゆったりと堂々?と、安らかな振る舞いでした。
「逮捕の灯・・・」
満州チチハルで敗戦濃厚の頃、母がひとりで、兵隊官舎で過ごしていた夜の句です。寒い部屋の中にいつも灯していた炎が、風もないのに揺れたことがあったそうです。父実が、ソ連軍に逮捕された一瞬で、二人だけに通じる何かを抱いたのだと言います。敗戦の満州で体験した怖い、寒い句ですね。
「樅の木は残った」というドラマがありましたね。
「さしみより・・・」
室蘭時代の一句。父は釣りが趣味で、休みなると釣り仲間“輪西釣友会”の旗を持って、噴火湾へよく出かけたいた。行くたびに大漁ばかりじゃないこの日の”釣果”を、ユーモラスに、微笑ましく捉えてますね。釣りから帰ってきた夫をお風呂に入れて、少ない小さな獲物のために包丁を研いでいる、そんな平和な姿です。
「ものすべて・・・」
これも室蘭・輪西・5条山の上“鉄源社宅“時代のもの。
狭い社宅に6人家族。寝静まった夜に、母は書き物をしたり、裁縫だったり毎晩夜なべをしていた。生命保険の外交をやっていたのもこの頃。育ち盛りの子供4人を抱えて、そろばんは手放せなかった時代でした。そんななかでも、子供たちの中学・高校野球の試合やマラソン大会などには、カメラを持って現場へ出かけてくるんです。
いぶり文芸の活字を追いながら、
父・母を想う。
<俳句> 室蘭 磯崎咲子
桜散る 寺静かなり 一周忌
おくつきに 椿残れり 一周忌
逮捕の灯 ゆれて卯月の 影おぼろ/font>
「逮夜(たいや)の灯」が、正しい。コメント欄に詳細。
<短歌> 室蘭 磯崎咲子
” みちのくの旅より ”
仙台市船岡城址にて
胸をはり 天にとどけと そびえたつ
船岡城の 樅の木あわれ
さしみより 骨多からん この魚
夫の獲物なれば 包丁をとぐ
ものすべて 静まりかえり そろばんの
音ひそめつつ 記帳しおわる
※これを読んだ、息子の解説です。
「・・・一周忌」
父は享年83歳で釜石の病院で死去。母は70位後半。「お父さんとの最後のお別れの時は、みんなの前で、接吻して送ってあげる」と生前から言っていた通り。ゆったりと堂々?と、安らかな振る舞いでした。
「逮捕の灯・・・」
満州チチハルで敗戦濃厚の頃、母がひとりで、兵隊官舎で過ごしていた夜の句です。寒い部屋の中にいつも灯していた炎が、風もないのに揺れたことがあったそうです。父実が、ソ連軍に逮捕された一瞬で、二人だけに通じる何かを抱いたのだと言います。敗戦の満州で体験した怖い、寒い句ですね。
「樅の木は残った」というドラマがありましたね。
「さしみより・・・」
室蘭時代の一句。父は釣りが趣味で、休みなると釣り仲間“輪西釣友会”の旗を持って、噴火湾へよく出かけたいた。行くたびに大漁ばかりじゃないこの日の”釣果”を、ユーモラスに、微笑ましく捉えてますね。釣りから帰ってきた夫をお風呂に入れて、少ない小さな獲物のために包丁を研いでいる、そんな平和な姿です。
「ものすべて・・・」
これも室蘭・輪西・5条山の上“鉄源社宅“時代のもの。
狭い社宅に6人家族。寝静まった夜に、母は書き物をしたり、裁縫だったり毎晩夜なべをしていた。生命保険の外交をやっていたのもこの頃。育ち盛りの子供4人を抱えて、そろばんは手放せなかった時代でした。そんななかでも、子供たちの中学・高校野球の試合やマラソン大会などには、カメラを持って現場へ出かけてくるんです。
いぶり文芸の活字を追いながら、
父・母を想う。
以上、ツイートするには、長文になるのでと便せん3枚にわたる手紙です。
上の間違って「逮”捕”の灯」としてしまったのは、間違いでした。ですが、息子の解説なある話は、生まれたばかりの長男と過ごしした満州のろうそくの噺は、わたしが聞いた話でついうっかりと、混同したものでした、ごめんなさい。
とにかく、妹の手紙にもありましたが、「俳句や短歌を日常の暮らしの中で楽しみ、そして苦しい時には、書くことで気持ちをやわらげていたお母さんでしたね」と。そして、「それは、私たちが今、お母さんの足跡をこのように知ることが出来るように、書き残していく大切さも感じています」
「どんなに親しい人、夫婦でも、きちんと口に出して伝えることの大切さを
思います」
「少しでも、この先、自分自身のためにも書き続けていきたいと思います」
同感!!
小生、これから書くときは、少しゆっくりと正確さを期していきます。