洪福寺は横浜のアメ横と言われている洪福寺松原商店街のある洪福寺交差点の角にあり、700年以上もつづく、歴史の深いお寺ですが、1883年(明治16年)1月2日に火災で焼失し、1923年(大正12年)9月1日には関東大震災により山門を残して倒壊し、第二次世界大戦では空襲で焼失してしまったお寺で、現在の本尊は薬師如来であるが、新編武蔵風土記稿には目洗薬師、横浜市史稿には釈迦如来像とあります。目洗薬師は1883年の火災あるいはそれ以前に失われ、釈迦如来は空襲で焼失したと考えられています。第二次大戦以前は薬師堂、観音堂、不動堂があり、三聖堂と呼ばれていました。鎮守として祭られている社宮司大権現は、通称「おしゃもじ様」と呼ばれ、のどの病気や風邪の神様とされています。患者は供えられているしゃもじを1本持ち帰り、それで患部を撫でると病が癒えるといわれ、快復したら新しいしゃもじと合わせて2本にして返す風習があり、インフルエンザの流行の際にはしゃもじが山のように集まったといわれているお寺です。
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