飯田線は愛知県の豊橋と長野県の辰野を結ぶJR。
無人駅の多いローカル線で、本数は一日三本くらい。
「秘境駅」ファンには人気らしい。
良い季節になったら、一度乗ってみよう……くらいに考えていたのだが、
年明け、S村から横浜への帰路に乗る新幹線と、一日一本か二本しかない
飯田線の「特急」(あとはぜんぶ各駅停車)が、時間的にちょうどマッチ
していることが判明。
さっそく年明け某日のチケットを購入。
行ったのは天竜峡駅。ここは観光地だから駅も有人だ。
旅館も土産物屋もあるようなので周辺を少し歩いてみた。
が、店は閉まっているし、人は少ないしで
「観光地」の賑わいが感じられない。
でも観光案内所はあったので、天竜川を臨む遊歩道の
マップをもらい、そちらへ行ってみた。
するといきなり「あゝ モンテンルパの夜は更けて」の石碑が!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f2/ef55c87e297433b508cd975064ba8081.jpg)
モンテンルパはフィリピンにある市だ。
そこのニュービリビッド刑務所に、第二次大戦後、
100人を超す日本人のB級戦犯が収監され、次々と
死刑になっていた。
B級戦犯の裁判はかなり一方的なもので、無実の人もいたようだ。
日本ではさまざまな人たちが、彼らを救おうと運動していた。
その一人に、当時の大歌手、渡辺はま子がいた。
戦時中、日本軍は、兵士たちを鼓舞するため、有名歌手や作家を
戦地への慰問に送りこんだ。渡辺はま子もそのひとり。
お国のため、彼女は精力的にその仕事をこなした。
が、終戦を迎え、多くの日本人同様、彼女も、
この戦争が間違いであったことを知った。
「この人たちが戦犯なら、戦地で彼らを鼓舞した私も戦犯だ。
歌う戦犯だったのだ」
モンテンルパで起きていることを知り、彼女は懊悩した。
そして戦犯たちと文通を始め、彼らの家族たちにも会いに行った。
戦犯たちは感激し、自分たちで歌を創り、彼女に送った。
その歌が「あゝ モンテンルパの夜は更けて」。
素人の作詞作曲だったにも関わらず、渡辺はま子によって
レコード化されると大ヒットになった。この刑務所で起きていることを、
より多くの人々が知るきっかけにもなっただろう。
支援する人々のこうした努力が実り、戦犯たちは全員釈放。
無事、日本に帰国することができたのである。
という実話をもとにして、横浜夢座が「奇跡の歌姫 渡辺はま子」
という舞台を上演した。主演は夢座を率いる五大路子さん。
脚本は私が書かせていただいた。
何度か再演され、いまはこのような朗読バージョンもできている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/cb/2d9c713c306e2cee442a8f30bfdf800c.jpg)
ここでこの石碑に巡り会うとは予想だにしなかったが、
作詞をした代田銀太郎さんは、飯田市の出身。
もう亡くなられたが、苦楽を共にした戦友たちと
毎年、会を開いておられたことも思い出し、胸に迫るものがあった。
S村滞在中、近隣の施設などを幾つか訪れたが、満蒙開拓平和記念館、
平岡ダム、飯田市平和祈念館など、「戦争と平和」に
思いをきたす場所が多いことにもいま気が付いた。
さて遊歩道を上り下りして、目のくらむような吊り橋
「つつじ橋」をおっかなびっくりわたり、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/17/8f2bafec9bde6d1367edfbdea2f1a707.jpg)
龍角峯の奇観に見惚れ、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/47/f25d78b1ced792f6a0c93c19a93b4d1a.jpg)
深緑の水を湛えた天竜川を堪能した後、また駅前に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f5/e5c20ba48dd08453eb56659891e4957a.jpg)
素朴な焼き物の並ぶ土産物屋が開いたところだったので
ちょっと寄ってみた。
店主が問わず語りにこのあたりの栄枯盛衰を教えてくれた。
この店の前はがらんとした空き地だが、昔は由緒ある
建物が移築され、旅館になり、皇族も宿泊されたそうだ。
バブルになると観光客が押し寄せたので、その旅館を壊し、
鉄筋の大きなホテルを建てた。すぐに観光客で満員になった。
こりゃ、温泉のひとつもないと申し訳ない、というわけで
多額の設備投資をして温泉が掘られた。
が、バブルが弾けると客足は途絶え、温泉客は、近くに
できた昼神温泉にとられてしまった。
で、いまのように閑散とした状況になったのだ……と。
栄枯盛衰は世の習い。こんなに壮大な天竜峡があるのだから、
この先は天然資源を大切にして、また訪れる人々を粛々と
楽しませていただきたい。
無人駅の多いローカル線で、本数は一日三本くらい。
「秘境駅」ファンには人気らしい。
良い季節になったら、一度乗ってみよう……くらいに考えていたのだが、
年明け、S村から横浜への帰路に乗る新幹線と、一日一本か二本しかない
飯田線の「特急」(あとはぜんぶ各駅停車)が、時間的にちょうどマッチ
していることが判明。
さっそく年明け某日のチケットを購入。
行ったのは天竜峡駅。ここは観光地だから駅も有人だ。
旅館も土産物屋もあるようなので周辺を少し歩いてみた。
が、店は閉まっているし、人は少ないしで
「観光地」の賑わいが感じられない。
でも観光案内所はあったので、天竜川を臨む遊歩道の
マップをもらい、そちらへ行ってみた。
するといきなり「あゝ モンテンルパの夜は更けて」の石碑が!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/f2/ef55c87e297433b508cd975064ba8081.jpg)
モンテンルパはフィリピンにある市だ。
そこのニュービリビッド刑務所に、第二次大戦後、
100人を超す日本人のB級戦犯が収監され、次々と
死刑になっていた。
B級戦犯の裁判はかなり一方的なもので、無実の人もいたようだ。
日本ではさまざまな人たちが、彼らを救おうと運動していた。
その一人に、当時の大歌手、渡辺はま子がいた。
戦時中、日本軍は、兵士たちを鼓舞するため、有名歌手や作家を
戦地への慰問に送りこんだ。渡辺はま子もそのひとり。
お国のため、彼女は精力的にその仕事をこなした。
が、終戦を迎え、多くの日本人同様、彼女も、
この戦争が間違いであったことを知った。
「この人たちが戦犯なら、戦地で彼らを鼓舞した私も戦犯だ。
歌う戦犯だったのだ」
モンテンルパで起きていることを知り、彼女は懊悩した。
そして戦犯たちと文通を始め、彼らの家族たちにも会いに行った。
戦犯たちは感激し、自分たちで歌を創り、彼女に送った。
その歌が「あゝ モンテンルパの夜は更けて」。
素人の作詞作曲だったにも関わらず、渡辺はま子によって
レコード化されると大ヒットになった。この刑務所で起きていることを、
より多くの人々が知るきっかけにもなっただろう。
支援する人々のこうした努力が実り、戦犯たちは全員釈放。
無事、日本に帰国することができたのである。
という実話をもとにして、横浜夢座が「奇跡の歌姫 渡辺はま子」
という舞台を上演した。主演は夢座を率いる五大路子さん。
脚本は私が書かせていただいた。
何度か再演され、いまはこのような朗読バージョンもできている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/cb/2d9c713c306e2cee442a8f30bfdf800c.jpg)
ここでこの石碑に巡り会うとは予想だにしなかったが、
作詞をした代田銀太郎さんは、飯田市の出身。
もう亡くなられたが、苦楽を共にした戦友たちと
毎年、会を開いておられたことも思い出し、胸に迫るものがあった。
S村滞在中、近隣の施設などを幾つか訪れたが、満蒙開拓平和記念館、
平岡ダム、飯田市平和祈念館など、「戦争と平和」に
思いをきたす場所が多いことにもいま気が付いた。
さて遊歩道を上り下りして、目のくらむような吊り橋
「つつじ橋」をおっかなびっくりわたり、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/17/8f2bafec9bde6d1367edfbdea2f1a707.jpg)
龍角峯の奇観に見惚れ、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/47/f25d78b1ced792f6a0c93c19a93b4d1a.jpg)
深緑の水を湛えた天竜川を堪能した後、また駅前に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/f5/e5c20ba48dd08453eb56659891e4957a.jpg)
素朴な焼き物の並ぶ土産物屋が開いたところだったので
ちょっと寄ってみた。
店主が問わず語りにこのあたりの栄枯盛衰を教えてくれた。
この店の前はがらんとした空き地だが、昔は由緒ある
建物が移築され、旅館になり、皇族も宿泊されたそうだ。
バブルになると観光客が押し寄せたので、その旅館を壊し、
鉄筋の大きなホテルを建てた。すぐに観光客で満員になった。
こりゃ、温泉のひとつもないと申し訳ない、というわけで
多額の設備投資をして温泉が掘られた。
が、バブルが弾けると客足は途絶え、温泉客は、近くに
できた昼神温泉にとられてしまった。
で、いまのように閑散とした状況になったのだ……と。
栄枯盛衰は世の習い。こんなに壮大な天竜峡があるのだから、
この先は天然資源を大切にして、また訪れる人々を粛々と
楽しませていただきたい。