昨秋、樋口季一郎中将出身地の淡路島にある伊弉諾(いざなぎ)神宮(兵庫県淡路市)に功績を伝えるため銅像が建立されたことを受け、当会で参拝及び、研修会が開催されました。事績の一部をご紹介します。
『大正14年 陸軍中将はポーランド駐在武官として赴任していました。その時、コーカサス地方グルジアの寒村で一人の老人に呼び止められた。
日本人だというと、老人は樋口を貧しい家に招き入れ、目に涙をためて、ユダヤ人が欧州で迫害されていることを述べ、
日本の天皇がユダヤ人を救ってくれる救世主に違いない、と樋口に言った。
このことを、樋口は生涯忘れなかった。そして、このユダヤの貧しい老人の一言が、樋口が多数のユダヤ人救出に向かう引き金だと言われている。
しかし、何故、コーカサスの貧しい老いたユダヤ人が「天皇がユダヤ人の救世主だ」と言ったのか。
イスラエル建国の父といわれる、ヨハン・トランベルドール(1880~1920年)は北コーカサスの生まれで、明治37~38年の日露戦争にロシア兵として出征し、
旅順要塞攻防戦において左腕を日本軍の砲弾に吹き飛ばされ、旅順降伏開城後日本軍の捕虜となり、大阪の浜寺ロシア兵捕虜収容所に来た。
トランベルドールは、何故、この小さな貧しい日本が、大国ロシアを破ったのかと疑問に思った。その時、一人の無名の日本兵が彼に言った。
「祖國の為に死ぬことほど名誉なことはない」と。その時、祖国の無いトランベルドールは、「その為に死ぬことができるユダヤ人の祖国」をつくる決意をした。
そして、コーカサスに戻ったトランベルドールは、その郷里で、パレスチナにユダヤ人の祖国をつくる活動を開始する。
その彼の左腕は、捕虜の時に明治天皇から下賜された義手であった。彼は、日記に、「来たるべきユダヤの国家は、明治の日本のような国であるべきだ」と書いている。
グルジアで樋口希一郎に、「天皇がユダヤ人の救世主だ」と語った貧しい老ユダヤ人は、日露戦争から生還したトランベルドールから「日本の天皇」のことを聞いていたのであろう。』
【令和4年4月25日西村慎吾の時事通信より抜粋】
先日大地震で甚大な被害を被ったトルコは、世界有数の親日国と言われています。その理由は様々ですが、明治23年9月に和歌山県串本沖で帰国途中の軍艦が台風に遭遇し難破しました。
それを知った大島の住人は自らの危険も帰り見ず全力で救援活動しました。自分たちの食料にも事欠く中惜しげなく遭難者に与え、島民挙げて看病し、トルコ国民から感謝されました。
そして、昭和60年イラン・イラク戦争時48時間後にイラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃すると声明があり、我が国航空会社が派遣を躊躇う中、
トルコは2機の救援機を差し向け215名の日本人を期限の一時間前に脱出させました。トルコ人の残留者は陸路で帰国されたようです。
最初の事績は一人の無名の日本兵の言葉により、そして、二つ目は大島島民の行為によりその後に連なる歴史を創造しました。
私が子供のころは明治生まれの方も多くご存命で家や地域そして、國家の名誉を穢してはならないと、大人の会話から感じることができました。
また、祖父や祖母から直接諭されたこともありました。昭和の終盤から平成にかけては國を愛することや護ることを語ることは遠慮がちでしたが、
電子空間が充実し誇るべき真実の歴史が白日の下に晒され、ようやくそれらの事を堂々と語ることができるようになりました。
私たちは正しい歴史認識を持ち、言動の機会があれば躊躇することなく後世に伝えるべきではないでしょうか。
それを見聞する者に志があれば歴史を創造するほどの大きな影響を与えることもあります。道義國家再建に共に尽力いたしましょう。
(川端 徹 記)
『大正14年 陸軍中将はポーランド駐在武官として赴任していました。その時、コーカサス地方グルジアの寒村で一人の老人に呼び止められた。
日本人だというと、老人は樋口を貧しい家に招き入れ、目に涙をためて、ユダヤ人が欧州で迫害されていることを述べ、
日本の天皇がユダヤ人を救ってくれる救世主に違いない、と樋口に言った。
このことを、樋口は生涯忘れなかった。そして、このユダヤの貧しい老人の一言が、樋口が多数のユダヤ人救出に向かう引き金だと言われている。
しかし、何故、コーカサスの貧しい老いたユダヤ人が「天皇がユダヤ人の救世主だ」と言ったのか。
イスラエル建国の父といわれる、ヨハン・トランベルドール(1880~1920年)は北コーカサスの生まれで、明治37~38年の日露戦争にロシア兵として出征し、
旅順要塞攻防戦において左腕を日本軍の砲弾に吹き飛ばされ、旅順降伏開城後日本軍の捕虜となり、大阪の浜寺ロシア兵捕虜収容所に来た。
トランベルドールは、何故、この小さな貧しい日本が、大国ロシアを破ったのかと疑問に思った。その時、一人の無名の日本兵が彼に言った。
「祖國の為に死ぬことほど名誉なことはない」と。その時、祖国の無いトランベルドールは、「その為に死ぬことができるユダヤ人の祖国」をつくる決意をした。
そして、コーカサスに戻ったトランベルドールは、その郷里で、パレスチナにユダヤ人の祖国をつくる活動を開始する。
その彼の左腕は、捕虜の時に明治天皇から下賜された義手であった。彼は、日記に、「来たるべきユダヤの国家は、明治の日本のような国であるべきだ」と書いている。
グルジアで樋口希一郎に、「天皇がユダヤ人の救世主だ」と語った貧しい老ユダヤ人は、日露戦争から生還したトランベルドールから「日本の天皇」のことを聞いていたのであろう。』
【令和4年4月25日西村慎吾の時事通信より抜粋】
先日大地震で甚大な被害を被ったトルコは、世界有数の親日国と言われています。その理由は様々ですが、明治23年9月に和歌山県串本沖で帰国途中の軍艦が台風に遭遇し難破しました。
それを知った大島の住人は自らの危険も帰り見ず全力で救援活動しました。自分たちの食料にも事欠く中惜しげなく遭難者に与え、島民挙げて看病し、トルコ国民から感謝されました。
そして、昭和60年イラン・イラク戦争時48時間後にイラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃すると声明があり、我が国航空会社が派遣を躊躇う中、
トルコは2機の救援機を差し向け215名の日本人を期限の一時間前に脱出させました。トルコ人の残留者は陸路で帰国されたようです。
最初の事績は一人の無名の日本兵の言葉により、そして、二つ目は大島島民の行為によりその後に連なる歴史を創造しました。
私が子供のころは明治生まれの方も多くご存命で家や地域そして、國家の名誉を穢してはならないと、大人の会話から感じることができました。
また、祖父や祖母から直接諭されたこともありました。昭和の終盤から平成にかけては國を愛することや護ることを語ることは遠慮がちでしたが、
電子空間が充実し誇るべき真実の歴史が白日の下に晒され、ようやくそれらの事を堂々と語ることができるようになりました。
私たちは正しい歴史認識を持ち、言動の機会があれば躊躇することなく後世に伝えるべきではないでしょうか。
それを見聞する者に志があれば歴史を創造するほどの大きな影響を与えることもあります。道義國家再建に共に尽力いたしましょう。
(川端 徹 記)