長崎と広島で核兵器廃絶を訴えられた。
核兵器の使用は戦争犯罪だといわれたという。
特に反対意見を言うつもりはない。
日本は世界で唯一の核兵器の被害国である。
その加害者はアメリカである。
核兵器根絶を訴えているが、戦後一貫して日本を護ってくれたのは
加害国のアメリカである。
現在、北朝鮮の核から日本を護っているのはアメリカである。
日本はアメリカの忠実な同盟国(従属国という人もいる)である。
アメリカはロシアとともに二大核兵器保有国である。
世界は力が支配する。
アメリカには当然に許されることが、その他の国には許されない。
理屈や思想ではない。
そういう世界で、核兵器廃絶を訴え続けることに何の意味があるのかと
考えることがある。
人間の生きているこの世界は矛盾に満ちた世界である。
矛盾に満ちているから宗教が人間には必要なのだと思う。
矛盾に満ちているからこそ長崎の広島の訴えが必要なのだと思う。
現実が理想でないからこそ人間にはやることが、生きる目的があるのかもしれない。
最近はそんな風に考えるようになっている。
それが正しいのかどうかはわからない。
フランシスコ教皇、皇居訪問・首相訪問と忙しく過ごされているよう。
そんな中で、東京カテドラル聖マリア大聖堂で行われた「青年との集い」に出席されたという。
仲間内の行事である。
信徒らから背中に教皇の似顔絵の描かれた法被を贈られたという。
サムアップのポーズのようにも見えるが・・・・
背中の似顔絵は
お堅い公式行事を次々とこなされる立場の教皇にとって本当に心に残る行事というのは
どちらなのだろうか?
畏れ多いことながら教皇の頭の中をのぞいてみたいな。