旅行中、出来るだけ自撮り棒を使うことにした。
恥ずかしさも克服した。
きちんとした写真を撮りたいときはデジカメと使い分けたので
大忙しだった。
そこで気づいたことがある。
当然だが私たちは前を向いて歩いている。
ということは、前方に広がる風景、景色を見ているわけだ。
ところが、自撮り棒では、いつも自分の後ろを見ていることになる。
後ろの景色と前の景色は違うものだと実感した。
例えば、銀座のとおり(東京の)を銀座4丁目から歩くのと
銀座1丁目からスタートするのとではかなり違うのと同じ道理だ。
前にあるものは見えるが後ろのものは見えない(後ろに目はついていない)。
自撮り棒では撮影したいものを背にして写すことになる。
茶目っ気のある人が急ににょきっと画面に顔を出すことがあった。
ふと、私たちは、後ろで何が起きているかわからないものだと実感した。
比ゆ的に、見えない、裏の所では、何を言われているか起こっているか
気が付かないものだということをも改めて実感したものだ。
私たちは鏡を見なければ自分自身の姿をみることができない。
自分ではカッコイイつもりでも実際はそうではないかもしれない。
撮影者は被撮影者を兼ねる。あるいは被撮影者は撮影者を兼ねる。
ということで、どのように写るのかが即自分自身にわかる。
これは大きな気づきだった。
自撮り棒は動く鏡なのだ!
イメージと現実(の写真)との違いに驚いた。
現実(の写真)をいかにすればイメージに近づけるか?
いろいろ工夫するようになった。
言い換えれば、自撮り棒は、他人の目なのである。
しかも、気にしなくともいい目なのである。
何度でも試すことが出来る目なのである。
自分でコントロールできる目なのである。
これは大きな発見だった!
第三者の目でみること。
これは物事を客観的に見るために必要なことだ。
写真はじっくりと観察ができ、普段気の付かないことを
教えてくれる。
自撮り棒は、自分自身の外観について、じっくりと観察する機会を
与えてくれた。
そして、いいことも良くないところも、意識させてくれた。
ということで、長所はもっとよく、短所は改善するチャンスを
くれたようだ。
いつまでもカッコよくありたいものだ。
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自撮り棒はかなり以前に購入したが、使わないままだった。
それは、自撮り棒を持った手でシャッターを押す必要があり、
そのため手振れを起こしたり、十分に腕を伸ばすこと
ができず撮影範囲が狭くならざるを得ないことが理由だった。
最近、アイフォンのイヤホンをリモコンシャッターとして
使えることが分かった。
目いっぱい腕を伸ばすことができるし、手振れもおこさない。
本当に便利で素晴らしい。