喜寿から始まる

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生まれた日に何があったか知っていますか

2020年06月30日 | 写真・絵日記


(写真は東宝の映画「太平洋の奇蹟の作戦キスカ」のダイジェストから借用しました)

ステイホーム(stay home)と外出自粛、随分イメージが違うように思う。
外出自粛中は、世間から遮断され、うちに、自分の殻に閉じ篭っていた(時間が多かった)。
ふと、自分の生まれた日には何があったんだろうと、気になった。
多分、今年の誕生日で喜寿になることを意識し始めていたからであろう。
早速、グーグルった。

実際には戦後派ではないけれど、戦後の繁栄と共に歩んできたので、実感としては戦後派だった。

グーグルったところにあったのは、敗戦が濃くなり始めた、戦争の真っ只中だった。

1943年7月29日だけはそれでもちょっと違っていた。
日本の戦争は南方というイメージがあったが、アリューシャン列島も戦場の一つだったと知った。
日本に一番近いアメリカはハワイではなく、アリューシャン列島(アラスカ州)だとわかる。
そういえば昔は飛行機旅行と言えば、アラスカで給油のためのストップをしていた。

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日本は1942年6月にアリューシャン列島の西に位置するアッツ島とキスカ島を占領した。
アメリカにとっては辺境の地ではあっても自国の領土が外国によって占領されることは目障りである。
日常的に米軍の攻撃に晒されていたようだ。
敗戦濃厚になり始めた日本にとって、アッツ島とキスカ島を維持する余裕はないし、戦略上のメリットもない。
ということで、軍は両島を放棄することに決定した。
アッツ島は1943年5月30日、大本営は全員の玉砕を発表した。約2600名。キスカも・・
逆転キスカ島は全員即時撤退させることに決まった。
決定したと言っても、この地域特有の濃霧と常時展開する物量に圧倒的に優位にある米艦隊の展開に阻害され、実際は極めて困難な作戦だ。濃霧は阻害要因ではあるが、同時に作戦上必須であり、また自然条件につき、あなた任せとなる(濃霧を利用してこっそりと逃げる作戦)。
1回目の突入予定日は、霧が晴れたので、中止。いったん帰投。
2回目は濃霧可能性大との予報があり、7月26日を予定。
26日の当日、霧はあったが、そのため身内の船同士で衝突事故があり修理等で延期。
29日決行。13時40分、救援艦隊キスカ湾に突入。5183名、誰一人残すことなく、全員収容。
14時35分、艦隊は出発。この間55分。いかに迅速、整然と行われたか、想像がつく。
船のスペース確保のために小銃等の装備は全て放棄。本当に身一つで撤退したのである。
千島列島の幌筵島に無事帰投。

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(あとでわかったこと)
26日の作戦は、暗号解析でアメリカ側は把握していた。アメリカ艦隊は付近で待ち伏せしていた。
待ち伏せ中のアメリカ艦隊は、レーダーがキャッチした数隻の艦影に容赦ない砲撃を加えた。
レーダーから映像が消えた。レーダーが捉えたのは日本の艦隊ではなく、遠くの島々の反射映像だった。
アメリカ艦隊は、日本の艦隊を撃滅したと判断、29日早朝、燃料・物資等補給のためキスカ島周辺を離れた。
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それは、日本の艦隊が突入しようとする、まさにそのときだった。29日の突入は絶好のタイミングだった。

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26日に身内での衝突事故があったこと(延期)。
同時に、たまたま、アメリカ艦隊がレーダーでとらえた反射映像を日本の艦隊と間違え猛攻撃したこと。
キスカ作戦の成功は、追突事故と反射映像の二つの偶然がなければ、なかったことになる。
決死の作戦は幸運なくして成功なしなのであろう。
しかし、そういう幸運をもたらすのは、決死の作戦を決断し、用意周到に準備をし、決行したからである。

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そう、1943年7月29日は、私の生まれた日である。
キスカの奇蹟作戦を知って、この日に生まれたことを誇りに感じる。
国家の威信をかけた戦争では人間は小さな兵器の一つでしかない。使い捨てである。
そういう中で、大本営が5000余名全員の撤退作戦を決定したことは想像を絶することである。
恐らく、その直前のアッツの2600名の玉砕と関係があるのだと思う。
その瞬間、人の命ほど尊いものはないと、誰もが感じたのであろう。

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東宝で制作された映画、出演者の顔ぶれをみるだけでその大作ぶりがわかる。

負け戦でなく、死者も出ず、そう快感が残る、という感想。
素晴らしいと思う。

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キスカの撤退作戦の後、何も知らないアメリカはコテージ作戦を行う。
ほぼ半月後の8月15日、アメリカ軍は3万5000の兵力でキスカに上陸。
同士うちで100名以上が死亡したという。いるはずの日本兵が攻撃をかけてこないので疑心暗鬼で同士討ちになったらしい。もぬけの殻と知らなかったのである。
残っていたのは2頭(3頭?)の軍用犬のみ。
なお、米軍をかく乱させるために撤退前に兵舎前に「ペスト患者収容施設」と書いた看板を残したという。
パニックがおこり、直ちに本国に「ペストのワクチン送れ」と打電したという。
コロナ禍の真っただ中にいると凄く現実味がある。
ロナルド・キーンさんはこの戦いに従軍していたという。
アメリカの有名な戦史家は「史上最大の最も実戦的な上陸演習だった」と皮肉っている。

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三船敏郎主演の太平洋奇蹟の作戦キスカを見たいものである。



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