神に生かされた人生!

日々の生活の中に出来事や、アフリエリトを紹介します。

明月院で川のせせらぎに感動した。あじさいは最後の花をさかせていた。

2016-07-08 13:40:45 | キリスト教
昨日、知り合いの80歳の女性と鎌倉の紫陽花寺にいった。
 
とても、日差しが強い午後だった。
 
北鎌倉駅をおりて、線路沿いに歩く。
 
彼女は鎌倉女学校、鎌倉八幡宮の近くの学校を卒業した。「私は鎌女をでたのよ」と誇らしげにいう。
 
7年まえ、民生委員をしていた時、少し認知症ぎみの彼女を訪問したのがはじめての出会いだ。
 
その当時、点字のボランテイアをしていた。
 
30年以上、ずうっと続けているボランテイだ。
 
山登りが好きで、たくさん山を登ったらしい。
 
50歳のころの写真にスイスのアルプスに行った時のがあった。
 
国際人だ。
 
今日も、電車の中で、アメリカ人の若い人に席をゆずられたら、「サンキュウー」と返事していた。
 
階段を上る時、手すりにつかまらず、しっかりと一段、一段階段を登っていった。
 
暑いので、駅の自動販売機で冷たいお茶を買う。
 
歩きながら、水分を取るように促すが、あまり、飲まない。
 
私も麦茶を買って、いっきに半分飲む。
 
途中に鎌倉ミュージアムがあって、紫陽花展をやっていた。
 
500円はらって、中に入ると、紫陽花の小道があって、そこを歩く。
 
青、うす紫、インク、白、緑、などの美しい紫陽花が最後の花をさかせていた。
 
7月10日で終了だったので、紫陽花を見るのにまにあったねと笑い合った。
 
そこを過ぎて、さらに歩く。
 
道を通る人に、明月院を聞く。
 
ここの道rをまっすぐいって、あそこを曲がると明月院です。
 
と教えてくれた。
 
明月院は、850年まえ、北条時宗のお父さんが蒙古襲来でなくなった人を、まつるために建てたらしい。
 
当時の日本人は亡くなった蒙古じんも葬ったようだ。
 
喧嘩両成敗ということばがあるが、日本人の考え方がナイチンゲールが敵味方も関係なく、怪我で苦しんでいる
 
人を看病したという考えとおなじではないかと驚いた。
 
明月院に入るとr、長い階段があった。その階段は多くの人が多くの時代にあるいたので、階段の石の部分が
 
へっていた。
 
あるきにくそうに「階段のふちがへってしまっているね。」と彼女がいった。
 
樹齢500年もったっているっだろう、大きなイチョウの木があった。
 
私は、その太い幹の部分をさわった。この木は多くの時代をみてきたんだと感激する。
 
紫陽花は、もう最後でたくさん見れなかったが、川のせせらぎの音を二人で聴きたり、森林浴ができて、よかっ
 
た。
 
帰りに喫茶店によって、冷やしぜんざいを食べて、帰りの電車に乗った。
 
彼女は明日になったら、このことを忘れていると思うが、川のせせらぎの音を聴いたり、美しい紫陽花をみたり、
 
して、脳の活性化がたくさんできた1日だったと思う。
 
「わたしは、だれかが誘ってくれなければ、ここにはこれないわ。ありがrとう」とうれしそうに話した。
 
私も、彼女は教養のあるひとなので、いっしょに行動するこrとは、たのしいのです。感謝
 
 

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