














とても、日差しが強い午後だった。
北鎌倉駅をおりて、線路沿いに歩く。
彼女は鎌倉女学校、鎌倉八幡宮の近くの学校を卒業した。「私は鎌女をでたのよ」と誇らしげにいう。
7年まえ、民生委員をしていた時、少し認知症ぎみの彼女を訪問したのがはじめての出会いだ。
その当時、点字のボランテイアをしていた。
30年以上、ずうっと続けているボランテイだ。
山登りが好きで、たくさん山を登ったらしい。
50歳のころの写真にスイスのアルプスに行った時のがあった。
国際人だ。
今日も、電車の中で、アメリカ人の若い人に席をゆずられたら、「サンキュウー」と返事していた。
階段を上る時、手すりにつかまらず、しっかりと一段、一段階段を登っていった。
暑いので、駅の自動販売機で冷たいお茶を買う。
歩きながら、水分を取るように促すが、あまり、飲まない。
私も麦茶を買って、いっきに半分飲む。
途中に鎌倉ミュージアムがあって、紫陽花展をやっていた。
500円はらって、中に入ると、紫陽花の小道があって、そこを歩く。
青、うす紫、インク、白、緑、などの美しい紫陽花が最後の花をさかせていた。
7月10日で終了だったので、紫陽花を見るのにまにあったねと笑い合った。
そこを過ぎて、さらに歩く。
道を通る人に、明月院を聞く。
ここの道rをまっすぐいって、あそこを曲がると明月院です。
と教えてくれた。
明月院は、850年まえ、北条時宗のお父さんが蒙古襲来でなくなった人を、まつるために建てたらしい。
当時の日本人は亡くなった蒙古じんも葬ったようだ。
喧嘩両成敗ということばがあるが、日本人の考え方がナイチンゲールが敵味方も関係なく、怪我で苦しんでいる
人を看病したという考えとおなじではないかと驚いた。
明月院に入るとr、長い階段があった。その階段は多くの人が多くの時代にあるいたので、階段の石の部分が
へっていた。
あるきにくそうに「階段のふちがへってしまっているね。」と彼女がいった。
樹齢500年もったっているっだろう、大きなイチョウの木があった。
私は、その太い幹の部分をさわった。この木は多くの時代をみてきたんだと感激する。
紫陽花は、もう最後でたくさん見れなかったが、川のせせらぎの音を二人で聴きたり、森林浴ができて、よかっ
た。
帰りに喫茶店によって、冷やしぜんざいを食べて、帰りの電車に乗った。
彼女は明日になったら、このことを忘れていると思うが、川のせせらぎの音を聴いたり、美しい紫陽花をみたり、
して、脳の活性化がたくさんできた1日だったと思う。
「わたしは、だれかが誘ってくれなければ、ここにはこれないわ。ありがrとう」とうれしそうに話した。
私も、彼女は教養のあるひとなので、いっしょに行動するこrとは、たのしいのです。感謝

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