私は、仏教のお通夜で、お焼香をすることはできない。
他の人は数珠をもっていた。
これは、カソリックでロザリオという数珠があるが、それを真似したものらしい。
最初にお坊さんがはいってきて、みんなで手を合わせて祈った。
お坊さんが読経をしながら、もくぎょうをたたいていた。
そのふしが、日本語ではなく、意味が分からないがまるで、唄でもうたっているようなふ
しだった。
ある人が景教の教会にいったとき、まるで、仏教の御寺でお経を読んでいるお坊さんのう
しろ姿をみながら、会衆が
そのお経を聞いているスタイルににていたと言っていた。
空海は仏教をひろめたのではなく、天地を創造された創造主を日本に伝えたそうだ。
今の、真言宗はかたちだけのものになっているらしい。
そんなことをしって、私が横浜の金沢区の地域の御寺はほとんど真言宗だったのを思い出した。
そこで、暮らしている時、とても心が平安でなく、窮屈だったのを思い出す。
日本人のおしえの中に、江戸時代はクリスチャンを見つけるために、4人組制度ができた
が、そして、それぞれの家がどこかの御寺に入っていた。そこから、檀家制度ができたよ
うだ。
空海は800年まえの鎌倉時代の人だったと思う。
真言宗の高野山にいったことのある、熱心な仏教徒の人に福音を伝えたことがある。
私がグループホームに勤めていた時だ。
その人はイエス様を信じた下さった。
その人のおしえの中にキリスト教と同じような困った人を助ける思いがにじみでていた。そんな人だった。
あなたのゆくすべての道に主を覚えよ。そうすれば、あなたの道はまっすぐされる。(聖書)
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