2018年01月31日
イエス・キリストの再臨「諏訪湖の御神渡り」

いよいよ…御神渡りの兆候出現 下諏訪側で氷が隆起
全面結氷した諏訪湖で、張り詰めた氷が割れて筋状にせり上がる「御神渡(おみわた)り」の兆候が現れ始めた。亀裂を近くで見ることができる下諏訪町赤砂崎の湖畔には三十日、見物客が続々と訪れ、一足早く神秘的な光景を楽しんでいた。
赤砂崎沖には二本の亀裂が走り、湖岸寄りの一本は、岸辺からも氷のせり上がりがはっきりと確認できた。見物に訪れた群馬県伊勢崎市の会社員前田芳樹さん(47)は「ずっとこの目で見たいと思っていた。いろいろな自然現象が重ならないとこうにはならない。感動しますね」と満足げ。写真撮影が趣味という塩尻市の会社員吉田紗子さん(25)は「もっとすごいのが見たいので通いたい」と期待しながらシャッターを切っていた。
御神渡りは、男神が湖を渡って女神に会いに行った道筋と伝えられ、下諏訪町側の亀裂は、男神が岸に上がった終点「上座(あがりまし)」になる可能性がある。一方、男神が湖に下り立った始点「下座(くだりまし)」は諏訪市側になるが、有力な亀裂は三十日朝時点で見つかっていない。
同市豊田の舟渡川河口付近ではこの日、八剣神社の関係者が、岸辺から沖に向かって三十メートルほど氷上を歩き湖面の様子を確認した。
氷の厚さは七センチ。宮坂清宮司は「しっかりとした氷が張り始めた。この状態が続いて再び寒波がくれば、氷が盛り上がった筋ができる。これからが本当の観察」と気を引き締めた。(転載終了)
まだまだ寒波が襲う日本列島。
各地で寒さによる厳しい声が上がる中、ここ八ヶ岳西麓にある諏訪湖では、嬉しい悲鳴が聞こえてきています。
諏訪湖名物の1つ「御神渡(おみわた)り」。
全面凍結した諏訪湖で、氷がせり上がる自然の神秘現象ですが、寒い冬でないと出現せず、直近では2013年の冬に出現した以来、2014年、2015年、2016年、2017年と4年連続不発であり、今年2018年に5季ぶりの出現の期待が高まっています。

諏訪湖の南の諏訪市は諏訪大社上社があり、諏訪市側から北の諏訪大社下社のある下諏訪町に向かって走る氷のせり上がった亀裂。

これは、上社の男神が、下社の女神に氷の上を走って会いに行った軌跡であると伝承があります。

神様の恋の通い道『御神渡り』
―今はむかし、遠い遠い神代のことです。
諏訪湖の南にある諏訪大社の本宮に、男神と女神の夫婦の神様が仲むつまじく暮らしていました。
神様のお名前は、男神が『たけみなかたのみこと(建御名方命)』、女神は『やさかとめのみこと(八坂刀売命)』といいました。
しかし、穏やかな日ばかりが続いていたわけではありません。
強風や大雨だけでなく、夏にも雪が降るような日もあり、わずかしか農作物が採れない年が何年も続きました。
そんなある日、「荒れるお天気を治めるため、諏訪湖の北に新しい宮を造りました。
八坂刀売命はその宮をお守りするように」と天の声がしました。新しい宮は、『秋宮』といいました。
天の声には逆らえません。八坂刀売命は建御名方命との別れを惜しみながら秋宮に行くことになりました。
このとき八坂刀売命は、毎日お化粧に使っていた、本宮のそばに湧き出す温泉を持っていくことにしました。
一行は途中でひと休みし、いざ出発のとき、はずみで器に入れた温泉がこぼれてしまいました。
ちょうどそこは、諏訪の『こわた』という場所でした。
(現在、諏訪市の小和田にある温泉は、このときしみ込んだ女神の温泉が湧き出したものだ、といわれています。)
今度は温泉がこぼれないように、綿で温泉の入った器をおおい、秋宮に向かいました。
ようやく秋宮に着き、器をおおっていた、温泉で濡れた綿をかたわらに置いたところ、そこから温泉が湧き出しました。
綿にしみ込んだ温泉から湧き出した温泉ということで、後世の人たちはこの温泉を、『綿の湯』と呼ぶようになったということです。
一方、本宮に一人残された建御名方命は、毎日がさみしくてたまりません。
本宮での仕事を早々に片づけると、三日に一度くらいの割合で、秋宮にいる八坂刀売命に、舟で諏訪湖を渡って会いにいきました。
しかし、冬は厚い氷が張って舟が使えません。
しかたなく、遠回りになる湖岸を歩いて通っていました。
それはそれは寒い日が続いたある朝、諏訪湖には全面に氷が張っていました。建御名方命はおそるおそる氷の上に乗ってみました。
けれど氷は厚く、びくともしません。そこで近道をしようと、思い切って氷の上を歩き出しました。
建御名方命はようやく岸にたどり着き、ほっとして後ろを振り返ったそのとき、バリバリバリッという、雷のようなものすごい音がしました。
建御名方命の歩いてきた湖の氷が、一メートル以上も盛り上がっていたのです。
それから、毎冬、氷点下の寒い日が続くと、諏訪湖の氷が盛り上がる現象が見られました。
人々はそれを、建御名方命が渡った道筋、『御神渡り』と名づけ、八坂刀売命に会いにいった「恋の通い道」とうわさし合いました。
諏訪地方は、この出雲からやってきたと言われる大国主の息子の建御名方命が、土着神であったミシャグジ神から諏訪の地を制圧したと古事記では言われていますが、最近の定説では、建御名方命そのものが、実はミシャグジであり、同一神であった可能性もあると言われています。
古代縄文時代の神であるミシャグジ。
その御神体は、諏訪大社の御神体である守屋山(もりやさん)と言われています。
ミシャグジも大蛇の神と言われており、同じ大蛇の神として日本でももっとも有名なのは、何と言っても奈良県桜井市にある三輪山の大蛇「大物主」。
ただ実際は、この三輪山の大蛇である大物主は、古代日本の太陽神であった男神アマテル「饒速日(ニギハヤヒ)」であったと言われています。
そこで最近になってミシャグジの正体について話題となっているのが、実はニギハヤヒ。
タケミナカタ=ミシャグジ=ニギハヤヒ=諏訪大社の男神というものです。
諏訪大社上社には、男神アマテルであるニギハヤヒが隠されて祀られており、そして反対に諏訪大社下社には、対となるパートナーである女神が祀られていると・・・。
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