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本が精神安定剤、疲れたときの緊急避難場所は図書館か書店という、活字中毒者ならではのお話です。
仕事で疲れたとき、どうしても時間の余裕がなくて読書も滞りがち。
本ばかりを毎日読み明かす暮らしもいつか飽きてしまうものですが、そうかといいまして、まったく活字に触れられない日々もストレスになります。仕事の書類って、毎日毎月だいたい似たような文字ばかり追うわけですから、たまには営利ではない文字を眺めていたいわけでして。
とくに予算が限られてしまう時期は、図書館でブラウジング。
しかし、やはり欲張って借りても読まずじまいで返す手間がもったいないので、時間つぶしになりそうな薄い本(同人誌のことではない!)ばかりを選ぶことになります。それも借りただけで満足して終わってしまう。
図書館にも書店にも行けない時は。
手持ちの文庫本小説もしくは漫画のコミックス。以前なら一日で十数冊読破できたであろう長編漫画もせいぜい一日に二冊ぐらいまでしか読み進められません。新しいものですとキャラの特徴の把握や情報の整理に時間がかかってしまいますので、過去のものを繰り返し読んでしまいます。
私は特定の作家のものしか読まない、かなりの食わず嫌いタイプ。
なので小説でも、同じ作家のシリーズを揃え、時間のない時は小一時間であっさり読めそうな厚さの文庫を書棚から引っ張り出します。
内容を理解するというよりは、眠りを誘うために本を読むといった具合ですね。
うっかり日曜の夜に読みはじめると、週末の金曜夜までは読み進められない。そのため一冊読みあおえるのに時間がかかり、飛ばし飛ばしに読むので内容もおさえられずじまい。それが嫌さに小説を読むのを敬遠したくもなります。
また作家の文体にも好みがあるので、繰り返し読むのは文豪と言われるような古くてかっちりした物語ばかりになってしまいます。やはり和物ですね。カタカナは疲れます。
漫画も、やはり、ふと何気なく手に取ってしまうのは和風ファンタジーか歴史ものばかりです。
たまに自然のものが写った図版入りの写真集をぺらぺらめくったりしますが、ほんとうにただ眺めているだけ。ほんとうは買い置きの美術書でもじっくり眺めていたいのだけれども、現実に戻ってこれなくなりそうで(作品の分析をあれやこれや脳が働きはじめてしまう)、怖くてよほどの連休日でないとできません。
結局、いつもいつも似たような本ばかり。
知っている著名作家ばかりをチョイスしてしまう私は、世間で評判の期待の新人作家だの、話題の書だのを読み逃して損をしているのかもしれません。でも、これ以上レパートリーを増やしたくないのです。
学生時代から、本を読むと言ったらまず岩波文庫でしょ、みたいな教科書通りの定番ばかりについつい食いついてしまいます。まずは古典から、読みハズレがないものを、という面白みのなさです。そんな古典の哲学書などなども買い集めたはいいが、けっきょく読まずじまいで押入れの奥にしまわれています。
そういえば、昔、超訳ニーチェの本みたいなガイド本が流行りましたが。
忙しいビジネスマン向けのやさしい本、一日に一頁だけ読めばいいような、そういったルーズリーフみたいな本はこれからもずっとずっと需要があるのでしょうね。
私ももう頭が疲れてしまって、目次があってすぐ調べたいことへ飛んでいけるような、そんな分かりやすい本しか読めなくなっています。頭が固まっているので、内容が残らないままです。
大人向けのぬりえだとか、絵本だとか、が売り出されるのもなるほど、そのためなんですね。
時間があるときは活字中毒者からしたら空白だらけでむしろ恐怖を感じるけれども、切羽詰まったときには、むしろ文字が少なすぎるのが心地よい。
そんな私がこの週末にストレス解消で読むのは手塚治虫の文庫本3巻で完結の漫画だけです。
手塚のファンではないけれども、手塚ならハズレがないだろうという、ただなんとなくの理由。あれこれ何を読もうか迷っている時間すらもうもったいないのです。