
断捨離継続中の管理人です。
10年ほど前に現住まいに引っ越してきたものの、関西暮らしだった時代のものを片付けないまま持ち込んでしまい、今のいまさらになって処分に追われています。今回、私が処分を決めた各種書類、研究資料のなかには、珍しいものが含まれていました。
そのひとつが、大学時代の同期で親友とやりとりしたメールです。
無料のホットメール。新世紀になってすぐの春ごろ。現在では使用していませんが、この文面は印象深かったのか、プリントアウトして保存してありました。
当時、私は大学院修士課程に進学したばかり。
デザイン専攻の親友は、就職氷河期ながら中小規模の印刷会社に就職します。お互いに新生活での状況を報告しあっていました。
くだんの談義は、美学講義についてのものです。
ざっくりいうと、「芸術鑑賞の美は多くても良いが、愛する人はひとりよい。それはなぜか?」という哲学的なテーマ。この課題に対して、講義をうけた生徒からのレポートを選りすぐって教官が発表するものでした。私はその教官の回答に不満があったらしく、社会人ながら知恵袋であった彼女に相談したものと見えます。

という、私の疑問点に対し、親友の回答が以下。

私は芸術鑑賞と恋愛行為の方法の違いに注目して切り出したのですが、論点がややあいまい。この親友はまず着眼点を3つ挙げています。
その着眼点とは、公共性か私的行為か。
私人であるか、公人であるか、は法律的な基軸であり、かつ社会生活を営む上で基本的に考えねばならないことです。わたしたちはみな、自分の体験や思考法にかってな倫理的価値や美徳をあてはめて、納得しようとします。しかし、個人と社会とはつねに対立しながらも、調和を図らねばならないのです。
「美はあまねく多く、愛はひとつでいいのはなぜか?」
実際のところ、多くの人を愛してしまう浮気性もいますし、さらにまったく人間に対し愛情を感じないアセクシャル、あるいは異常な性愛を覚えてしまうひとも、この世の中には存在します。
次代が違えば、愛の概念も違います。
死亡率が高い時代には家の存続を考え、後継ぎの子が多ければよかったので、妾や愛人は公的に認知されていたわけです。『月は無慈悲な夜の女王』というSF古典は、父母を共有して疑似家族になっている社会の話ですが、血縁が濃ければ人間のつながりも強い反面、縛りもきつく不自由でしょう。「愛はひとつでいい」世の中は、ほんとうに暮らしやすいのか、正しいのか、わかりかねます。
この愛がなにか、という事案について、もっと踏み込んだ議論をしたければできたでしょうが、相手は社会人。しかも、私は長文でだらだら思考は得意だが結論の出ない研究者の卵(?)。答えは噛み合わず、言い返すこともできないでしょう。私はこの問題について、美学教官の講義内容が気に入らなかったのでいちゃもんをつけたような気がしますが、この親友の回答については、彼女の主旨をおそらく完全に理解していないながらも反発することはありませんでした。好ましいと思っている相手に論戦をしかけて困らせたくはなかったからです。
もし、今の私がこの問題に回答するとしたら──。
「複数のひとを愛するなんて大変だよ。お金もかかるし、嫉妬もされるし。離婚したら慰謝料や生活費負担もあるし、年金も分割されるかも。子どもができたら、将来の相続で揉めるし。これはモノだって同じ。お気に入りのものを末永く愛したほうが精神的に楽に違いないよ」と回答するでしょう。この回答ですら、どこか味気なく、冴えないものですが。これはきわめて実利主義、効率主義的な考えです。リスクを最小化しようとする。行動心理学的に、人間は将来的な利益よりも確実な損失を恐れますので、多くの常識的な日本人はこの考えに至るでしょう。日本が戦争をおこしたのは、この将来的なリスクを見据える人材が当時の軍部政権にはいなかったからです。
今から思うと、あの美学テーマに違和感を覚えたのは。
ひとを愛する=その人の美を愛する、と教官が定義したからでした。しかし、そもそも人間の美しさとは何なのでしょうか。多くの人が誉めそやすからか、わかりやすい美貌があるからか、声が整っている、いい匂いがする、健康そう、若々しい、頭がいい、高そうな服を着て、いい会社に勤めている──。ひとが相手にもとめる快・不快が異なるのに、なにが美であるかなど定義などできやしないのです。そして、その美の本質がうしなわれることで(たとえば若さを失う、病気障害を負う、失業して一文無しになる等)、そのひとを愛さなくなるものなのでしょうか。だとしたら、それは人間に相応しい愛であるのでしょうか? もし、遺伝子操作でもして、ひとが画一的に同じものを喜ぶように設計したとしたら、人類の文化は衰退し、産業のイノベーションは生まれなくなるでしょう。私たちは美しくなろうとし、古いものより気持ちよく過ごそうと考え続けたので、ただ繁殖力だけがすさまじいゴキブリとは違った歩みをたどってきたのです。何を愛するかは自由なのですが、その愛に見返りを求めたとたんに、その愛じたいの美しさは損なわれてしまいます。しかし、自分を滅するほどの愛を相手から求められるぐらいなら、お仕着せの愛の美学から逃げてもいいのです。
それにしても、学生時代のこうした人生談義はとても有意義です。
若くて青くさいからこそ語れることがあるものです。
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