ワイン
私は、アルコールには、余り強くはない。話は古くなる。1971~2年にかけて、ドイツに仕事で、でかけたことがある。
もう冬に入る、11月、寒い。雲は厚く、太陽は、ほとんど顔を出さない。飛行機でパリから、ベルリン・テンペルホフ空港へ。50人乗り位の機だったが、上空に来ると、いきなり急降下、墜落するかと思ったら、着陸。何と言うところだ。当時、ベルリンは、2つに分かれ、東西冷戦の真っ最中の、西ベルリンに下りたのだ。米、英、仏、共同管理の、チェックポイントチャーリーから、東側(東ベルリン)入り、列車で4時間の・ルターシュッタツト・ビッテンベルグ(宗教改革のマルチンルターの町)へ入った。兎に角、工事に入った。コンビナートの一翼、肥料工場を、作るためだ。寒い・日が短い・工事は進まない。(作業員は現地ドイツ人)を使うのであるが、これが、仕事しない。昔、日本に半ドン制度があった。所が、ドイツ人はエライ。つまり、1・5ドン。金曜半ドン、土曜・日曜・休みである。週.4・5日しか働かない。東ドイツ(DDR)はソ連の管理下にある。東ドイツ政府は、遥々【ヤパン】から来た青年たちに、ビール、バナナ、ワイン、コメ(ベトナム米)これには閉口(影の声)牛肉と、好きなだけ用意した。ドイツ人は配給制。ワインはソ連が管理
質が悪く(ソ連はウオッカ以外、酒と思っていない)ワインを飲んだ翌日は、頭がガンガンした。ビールは流石だ。行く村々、町々に、地ビールがあり旨い。ビールが腐る、それ位、品質にこだわり、混ぜ物なし。同じ敗戦国のドイツは、日本人が良く働くと理解すると、途端に良くしてくれた。休日などに田舎に行っても、ヤパン・ヤパン・と言って、招待して呉れた。酷寒のドイツ-20℃迄体感した。遥かなる東ドイツ・D・D・R・ノスタルジアの彼方🐕アウフ・ビターぜン
【世界一短い地下鉄・300mトルコ、イスタンブール】
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