旅人Kの雑記帳

旅行記と、日常の出来事のブログ

青森・北海道 一人旅 第四日

2018年05月21日 | 旅行記
 旅の最終日、札幌ホテルの
チェックアウト遅くして、
夕方のフライトまで、小樽の街散策。

小樽運河
 明治後期から昭和初期にかけ、商都と
して栄えた小樽。歴史ある運河。






北一硝子 北一ホールカフェ

 明治24年(1891年)建てられた
木造石張倉庫を改装してガラスショップと
喫茶店オープン。

 お店は、167個もの石油ランプが
揺らめく幻想的な空間。店内の照明は
石油ランプのみ。
 石油ランプは、開店時間になると
一つずつ手作業で火が灯される。

 一人旅の気楽さ、趣ある空間で
北海道ソフトクリームいただきながら
くつろぎの一時を過ごして来ました。





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青森・北海道 一人旅 第三日

2018年05月21日 | 旅行記
 今日は、JR特急で函館から札幌へ。

 室蘭で途中下車して、地球岬へ。


地球岬は、太平洋を見渡す大パノラマ
100m前後の断崖・絶壁が連なり、
昭和60年「北海道自然100選」
第一位(朝日新聞)、昭和61年
「あなたが選ぶ北海道」も第一位
(北海道郵政局)の景勝地です。

展望台からは、地球の円さと、
自然の雄大さを実感させてくれる
所でした。







岬の「幸福の鐘」ついて来たので
幸福が訪れるかも。




室蘭線 「母恋駅」は地球岬への起点の駅。





母恋駅は、青春18切符のポスター
にもなっております。

写真はポスターの写真ですが、

 「久しぶりに母に連絡しよう。」
 「そう思った母恋駅です。」

と書かれていました。



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青森・北海道 一人旅 第二日

2018年05月20日 | 旅行記
 今回の旅の最大目的

 津軽海峡フェリーで、青森から函館へ
津軽海峡を渡る。

 船名   ブルーハッピネス
 全長   約144m
 旅客定員 583名
 積載台数 トラック71台 または
      乗用車 230台

AM10:00出港 3時間40分の航海
左の津軽半島 右に下北半と見ながら
北上。






石川さゆりの「津軽海峡冬景色」の情景を
思い浮かべながらの船中。

 あれをごらん竜飛岬 北のはづれと
 見知らぬ人が指を指す
 遙かに霞見えるだけ  とありますが。

 私に指を指して教えてくれた人は
いませんでしたが
天気は良かったですが竜飛岬は
かすんで見えませんでした。





函館湾からの函館山(船上から)





函館到着後、湯の川温泉へ行くには
時間があったので、「立待岬」へ
行って来ました。

函館山南東の津軽海峡に面した
断崖絶壁に囲まれた風光明媚。

森昌子の「立待岬」
 北の岬に咲く 浜茄子の  
 花は紅 未練の色よ
 立待岬の花になろうと

 歌われた岬。





岬に 与謝野寛・与謝野昌子の歌碑

 浜菊を 郁雨が引きて
 根に添ふる 立待岬の
 岩陰の土




湯の川温泉のホテル

窓下は津軽海峡と函館山

 天気が良ければ漁り火が見える
 ようでしたが雨でダメでした。







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青森・北海道 一人旅

2018年05月19日 | 旅行記
 今回の旅の目的、温泉宿泊。

 青森 浅虫温泉

こんな感じのお宿でした。



部屋の窓から、陸奥湾に沈む夕日


お宿のねぶた祭
 夜30分、中庭に現れる




季節で無いのにねぶた見られたのは
なんか得した感じです。
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青森・北海道 一人旅

2018年05月19日 | 旅行記
 2018年1月26日
NHKのドキュメント72時間
「津軽海峡渡るフェリー・・・」の
放送見た時から是非自分で
津軽海峡を船で渡って見たくなり
旅の計画をしました。




旅は、リュック担いで一人旅
男のロマンを求めての一人旅


今回の旅で四つの目的

◎津軽海峡を船で渡る。

◎青森港で青函連絡船の
メモリアルシップ
 「八甲田丸」を見学。

◎室蘭「地球岬」へ行く

◎一人温泉宿へ泊まる
 青森 浅虫温泉
 函館 湯の川温泉

 普段の一人旅はビジネスホテル。



八甲田丸

 青森と函館を結ぶ青函連絡船は、
1908年(明治41年)以来
80年間渡り乗客と貨物を運びました。

 1988年(昭和63年)
青函トンネルの開業で
役割を譲って終航した。

 
 青函連絡船は、昭和20年代までは
JR客車をそのまま船に乗せていましたが
1954年(昭和29年)台風15号により
洞爺丸の沈没の海難事故により以後は
客車は乗せ無くなった。


 メモリアルシップ 八甲田丸は
昭和39年から最終運航63年まで
23年7ヶ月、津軽海峡を往復した船で
内部は
 青函連絡船記念館として
ブリッジ(操舵室)、エンジンルーム、
当時の資料や物品、船長室、寝台室など

車両展示室は、当時船に乗せられていた
車両もあり
興味深く見学して来ました。

八甲田丸全景


青森駅から連絡線へつながる線路


操舵室


エンジン室


車両展示








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